- ロックシーンを背負って立つという明確な意志のもとに、これまで培ってきた音楽的な素養が束ねられている作品だと思いました。サウンド面にしても楽曲の表情の豊かさにしても現行のロックバンドの音とは何かを突き詰めた痕が見えますし、結果として、二度目のデビューアルバムのようなフレッシュさが滾っていると感じたんですが、まさやんさんはどんな手応えを持っていますか。
- 中西雅哉「これまで培ってきたものと言ってくれましたけど、まさに、いろんなピースがひとつにハマった感覚があって。特に“ENEMY feat. Kamui”辺りからは、いろんな方向に広がってたと思うんですよ。それがアルバムという形になった時に、バチっとひとつの束になったというか。“ENEMY”の頃だけで言えば、オーラルがヒップホップのアーティストを招いて曲を作ったということに関して、お客さんも「え?」ってなってたと思うんですよ。僕らも僕らで、これはライヴでどう演奏するんや?っていうのがあったんですよね。もちろん楽曲はカッコいいけど、他のアーティストとコラボレーションした楽曲をどう消化していくのかは未知の領域で。 でも、いざライヴをしてみたらお客さんも楽曲のカッコよさを受け止めてくれた感覚があったし、そうやってチャレンジすることが自分達とお客さんの信頼関係に繋がってきた気がするんです。“BUG”で言っても、バンドサウンドありきではないトラックが主体だったじゃないですか。あれも、オーラルのお客さんからすると『オーラルがそういう曲をやる必要があるの?』っていう声が見受けられたわけですよ。でもライヴでそういう声を覆せて、今となってはセットリストになくてはならない定番曲になった。そういうふうに、新しいチャレンジをして、ライヴの現場でそれを本物にしていけたのが『SUCK MY WORLD』から数えた4年半だったんじゃないかなと思いますね。そのピースがハマったアルバムやと思います」
- 音楽的な面で言えば楽曲ごとに様々なヴァリエーションを誇っているアルバムですけど、それがひとつにハマったのはどうしてだと思います?
- 中西「ライヴの現場を軸にするっていうのがブレなかったからやと思いますね。たとえ歪なピースの楽曲でも、それをライヴで演奏することで仕上げていく。そういう共通認識がメンバーの中にあったし、『ライヴで仕上げていく』っていうのを言い換えると、お客さんと共に作り上げていくということやと思うんですよ。日を追うごとに拓也が楽曲に込めた意志をわかりやすく提示してくれるようになったし、それも、ライヴをどんな空間にしたいかが明確だったからやと思うんです。拓也から送られてくるデモを聴いても、その楽曲の方向性や立ち位置がクリアに伝わってくるようになった。そうなると、その曲をどう消化して鳴らすのかがバンドの意志として固まっていくんですよね。 まあ拓也もね、いきなり突拍子もない楽曲を持ってくるわけではないんですよ。普段の会話の中で『Kamuiっていう面白いヤツを見つけたんやけど』みたいなジャブがあって、その存在を僕らがインプットできるようにしてくれてる(笑)。そういう普段のコミュニケーションがあるからこそ、僕らもスッと乗っかっていけるというか。拓也の導き方が上手いというか、何を面白いと思っていて、どんな意志を込めて次の曲を作りたいのかを提示してくれることが多かったと思います」
- 拓也くんが2022年に「DREAMLAND」というコレクティヴを立ち上げたり、2023年には辻村有記さんとの制作チームを作ったり、好きな仲間と共に村を作るようにして音楽を生み出していった数年があったと思うんですね。そういう拓也くんの動きを、まさやんさんはどういうふうに見てたんですか。
- 中西「これは昔から変わらない部分ですけど、拓也がやりたいことを信頼しているんです。なので、いろんな仲間と曲を作ったり、その曲に対して『オーラルが変わった』とか言われたりしても、何ひとつ揺らぐものはなくて。まあ、これまでの歴史の中で、拓也の芯の部分がグラグラとしていた時期もあったとは思うんですよ。たとえばデビュー前の時期とか、不安定な気持ちを吐き出すように表現している時もあって。でも今は、拓也の中の芯が凄く強固やから。 音楽的にはいろんなところに広がっているように見えるかもしれないけど、やっぱりライヴの現場を幸せなものにしたいっていう気持ちで動き続けてるんですよね。もし拓也のやりたいことに乗っかって大失敗があったとしても、これは違ったな!ってメンバー同士で笑いながら次に向かえると思うので。そういうポジティヴさというか、メンバーそれぞれが今のオーラルを楽しめてる空気がありますし、そういう部分が、今回の音楽的な気持ちよさに出た気もするんですよ」
- そうですよね。で、そういうピュアな楽しさと快感を何より大事にしているっていうのが、まさやんさんが言うところの「パズル」のベースになっていると思うんですよね。
- 中西「それこそ拓也がめちゃくちゃ考えていたことやと思うんですけど、『SUCK MY WORLD』によって音楽性を広げた後は、もう一度ロックサウンドに凝縮するっていうことを常々言ってたんですよ。でもコロナ禍に入ってしまって、思ったことを思ったようにやれないようになってしまった。そのモヤモヤを『MARBLES』という作品で一気に昇華してようやく次に向かえるとなったわけですけど、それこそKamuiとの出会いがあったり、JUBEEと仲を深められたりしたことで、今カッコいいロックとは何なのかを明確にできたと思うんですよ。 “ENEMY”も、当時は『いきなりラッパーと一緒にやるの?』っていう感じだったかもしれないですけど、コロナ禍にマシン・ガン・ケリーがパンクサウンドを取り入れたり、トラヴィス・バーカー(BLINK182)が橋渡しになっていろんなラッパーがロックに接近していったり、そういう流れも含めて消化するためのチャレンジやったと思うんですよね」
- ロックサウンドに凝縮するとは言っても、過去の焼き直しをやっても意味がない。現行のロックサウンドを突き詰めて、オーラル独自のミクスチャーにしていくということですよね。
- 中西「そうそう。今みたいなロックサウンドに向かっていく以前の拓也は、もっとアンダーグラウンドなシーンにアンテナを張ってた気がするんですよ。閉鎖的なシーンとは言わないですけど、自分達の村を作っているような在り方を吸収しようとしてた。でもバンド以外の仲間と一緒に制作するようになって、アンダーグラウンドとオーヴァーグラウンドを行き来できるようなバランス感を整えていったように思うんですよね。 で、その両方を合わせたものを素直に表現するようになったのが今やと思うし、どこに刺そうとか、どこにウケようとか、そういうのを度外視して縦も横も広げていった結果が今作のような気がします。で、それこそがこのアルバムの根底にあるもののような気がするんですよね。オーラルがどんな立ち位置にいたいかというより、自分達の思うカッコいいものを素直に出すことによって、ロックバンドのカッコよさを広めたいっていう気持ち」
- まさにそういうアルバムですよね。これまでのオーラルは、フェスが市民権を得て以降のオーヴァーグラウンドで勝ってきたバンドだと思うんですよ。でも今作は、シーンの中で勝ち上がるためじゃなくて、自分達のど真ん中を鳴らし、その意志によって未来を切り開いていこうとする作品で。等身大であるからこそ強いアルバムだと思う。
- 中西「拓也は拓也で現行のサウンドを分析したと思いますし、だからこそKamuiやJUBEEとも仲間になれたと思うんですよ。ただ、このアルバムによっていろんな場所に行けるようにしようっていうよりも、やっぱりライヴハウスに集まってくれるファンや仲間と幸せな空間を作りたいっていう意志のもとに音楽を作り続けていたから、僕ら自身も等身大で臨めたと思うんですよね。で、それこそ拓也の大きな変化なんですけど、人を楽しませるだけじゃなくて、何より自分達も楽しみたいっていう気持ちでステージに立つようになってきて。その空間を存分に味わうひとりとして、お客さんと一緒にライヴを楽しみたい。そういう意味でも自然体になって来られた数年だったんでしょうね」
- 幸せを作りたいというのも、これまでにないモードですよね。
- 中西「ほんまに、それが大きいと思います。そもそもこのアルバムのコンセプトを話し合った時に出てきたのが、今の『FIXION』を作ろうっていうことだったんですね。それがつまりどういうことかと言ったら、やっぱりライヴ感を軸にするっていう意味合いやったんですよ。でも昔と今で何が違うかと言ったら、当然ですけど技術的な面の向上、それからバンドやチーム、ファンとの信頼感やと思うんですよね。バンドとして、チームとして、仲間にとって何が幸せなのか。コロナ禍以降の数年でそういう視点が生まれてきたことが大きいんじゃないかなと思いますし、自分達が幸せでいるためにも、ロックシーンの土壌を守り、その未来を作っていくバンドでありたいっていう気持ちが拓也を突き動かしていたと思います」
- コロナ禍によって一度シーンのカルチャーや血脈が切断されたところもあったし、従来のライヴハウスにはなかった価値観でもってロックバンドを転がしていく世代も出てきた。そうやって新しいシーン、新しい潮流を巻き込みながらシーンを更新していくための時代に入ったわけですけど、まさやんさんは、ロックシーンというものに対してどんな視点を持っている方なんですか。
- 中西「僕は……どちらかと言えば拓也と真逆の性質なんですよ。これは拓也ともよく話すんですけど、拓也の周りにはアンダーグラウンドなカルチャーを通ってきた仲間が多くて、僕の周りにはオーヴァーグラウンドなシーンでやってきた人間が多いんですよね」
- アンダーグラウンドなカルチャーは伝わるんですけど、オーヴァーグラウンドな人達っていうのはどういう意味合いですか。
- 中西「たとえばback numberのメンバーとか、THE RAMPAGEとか。言ったらお茶の間に届いている人達っていうニュアンスですかね。そういう人達が僕の周りには多くいて、必ずしもオーラルとは交わらないであろう友達なんですけど。ただ、そういう人達が僕を通してオーラルの活動を見てくれているんですよ。THE RAMPAGEのメンバーも『やっぱりロックバンドってカッコいいですよね』『あのサウンドに憧れます』と言ってくれていて、やっぱりロックバンドのカッコよさというのは、シーンやジャンルを超えて伝わるものなんやなって実感するんですよ。そういう意味で、『ロックバンドである』という根源的な気持ちを強く持って貫いていくことこそが、一番広くて大きなことなんじゃないかなって思うんですよね」
- 自分達のアイデンティティや根源的なアティテュードを磨くことこそが、唯一無二の存在として輝くための一番の道だということですよね。
- 中西「なので、間口を狭めるとか広げるとか、そういう感じでもないんですよね。オーラル4人のメンタリティが合致していれば大丈夫やと思ってる。ただ、僕らがロックバンドとして活動していくためには土壌が必要やし、それが『シーン』と呼ばれるものじゃないですか。その土壌が、コロナ禍の中では必要ないもののように言われたし、これだけの武器を持っていてもシーンや土壌がなければ闘えないということも痛感して。で、コロナ禍の最中でバンドを始めた子達からすれば、コロナ禍前のシーンを知らないわけじゃないですか。 そうなると、どうやって活動したらいいのか、誰を頼ったらいいのかがわからないバンドも多くいるんですよね。そういうふうにコロナ禍以前とコロナ禍以降のシーンを見てきた僕達だからこそ、シーンに対する危機感とか責任感が増してきたと思いますし、ロックバンドの繋がりを途絶えさせないようにしたいっていう気持ちが原動力になってきたところはあると思います。受け継いでいくという以上に……カルチャーとか伝統的なものって、学ぶのとは違うと思うんですよ。見て学ぶ、体感して学ぶっていうんじゃなくて、それぞれの人がどうしたいのかを受け止めた上で、僕らが観せられるものを観せていくというか。 それこそ対バンだったり、後輩と一緒にライヴハウスを回るとか、そういう機会の積み重ねによって育まれていくのがシーンやと思うんですよね。で、それが僕らにとってもトライ&エラーになりますし、後続のバンドと交わることによってロックの先を見る機会にもなっていくというか」
- 2023年から始まった放浪ツアーは、日本を舐め回すようにしていろんなライヴハウスを巡って、後輩バンドとも対バンしまくったじゃないですか。あのツアーも、そういう気持ちでやっていたものなんですか。
- 中西「こういう日が来るだろうなと思っていたツアーでしたね。原点に還っていくというか。拓也はずっとライヴハウスにいた人間ですし、僕自身もライヴハウスから始まった人間で。で、これはずっと感じていたけど言わなかったことなんですけど--ホールやアリーナをやった先に何かがあると思っていたけど、何もなかったなぁみたいな感覚を持ってたんですよ。すかしを喰らった感覚というか。拓也にもそういう感覚があったみたいで。じゃあその違和感は何やったのかを考えたら、やっぱりライヴハウスの距離感で感じる熱量や空気を求めてたっていうことなんですよね。小さい場所になればなるほど熱は濃くなるし、アリーナでは感じられないものが確かにある。改めて、それを求めている自分達がいたんやなっていうことに気づいていったんですよ。 もちろんアリーナでしかできないことも大事ですけど、広い場所でも小さい場所でもオーラルの音楽を鳴らしたいっていう気持ちがあって。大きい場所でもやりたいけど、そこだけにいたいわけじゃない。小さいライヴハウスでやるだけでも観られない人が出てくる。だったら両方を大事にしようっていうのが今の活動やと思っていて。だからね、結局、ライヴハウスが好きな気持ちは一生消えないものなんですよね。だったらそれをやろうっていうのが放浪ツアーだったと思います」
- それはつまり、オーラルが歩んできた道を凝縮できているのが今だっていう言い方もできますか。
- 中西「ああ、そうですね。今までで一番自然体で活動できていると思うし、等身大の音楽を詰め込めたアルバムだとも思う。もちろん作品としてのこだわりはたくさんありますけど、それを狙ってやった感がないんですよね。で、その『等身大』っていうのがアルバムの一貫性になっている気がしていて」
- どうして自然体になれたんですか。
- 中西「拓也が背伸びしなくなったというか(笑)。送られてくるデモを聴いていても、変に105点を狙わなくなった感じがしたんですよ。で、その楽曲がすでに100点を取れているのか105点になっているのかもわからないままレコーディングに臨むことが今までは多かったんですけど、今回は、この楽曲はこういう意志を込めたものです!っていうのが明快だったんですよね。なので僕らも複雑に考え込む必要がなくて、カッコいい曲をカッコよく鳴らすことだけを考えればよかったんですよ。まあ、ドラマー目線で言うとここは手が3本必要やなぁって思うデモもありましたけど(笑)」
- ははははは。でも、ビートの明快さと快感度数が非常に高い楽曲ばかりですよね。
- 中西「そう、以前は変に複雑にしたり、手数を増やしたりっていうことが多かったんですけど。それってドラマーあるあるなんですけどね。今回は、デモをちょっと整理整頓するくらいで思い切り叩けて。手数を増やしたほうがいいかなぁとか考えることもありましたけど、歌とメロディを邪魔するくらいならシンプルに行こうと。それも、拓也のデモの完成度が高くなったからこそなんですけどね。今までは、デモのドラムを自分のフレーズに置き換えることから始めてたんですよ。でも今回の作品の楽曲は、デモの段階で聴けてしまうものが多かったので。僕は味付けをちょっと加える程度でしたし、今までよりも圧倒的に自然体なプレイができましたね」
- もちろん音楽的には拓也くんが舵を取っていると思うし、活動方針にしても拓也くんのヴィジョンが先にあることが多いと思うんですね。でも今回の楽曲を聴いていると、拓也くんに乗っかっていくというよりも、4人の塊感と結束感が聴こえてくるんです。あくまで拓也くんが着火点なのは変わらず、だけど4人が束になっている感覚が過去最高に強い。
- 中西「純粋にメンバーのコミュニケーション量が増えたっていうのは大きいと思うんですよ。あきらを筆頭に会話することが増えて、それによって拓也の楽曲に対する理解度が深まったというか。4人だけの作業部屋で拓也とシゲが曲についてディスカッションする時間が長くなりましたし、シゲがDTMを使いこなすようになって、音楽的な面でのキャッチボールが多くなって。それぞれの役割が明確化して、それぞれがバンドの屋台骨を支えている在り方というか。 言ってみたら、僕がわざわざ言わんでもええかなぁと思ってきたバンドの理想形に近づいてきた感じがしてるんですよ。で、僕はそれが凄く嬉しいんです。僕がオーラルに入って12年くらい経ちますけど、どんどん『バンドの理想的なバランスってこうやんな』みたいなイメージが具現化されていってるんですよね。それがアンサンブルにも出てるんでしょうし、オーラルとしての塊感がそこにあるんじゃないかなと思います」
- 面白いなと思うのは、4人が塊になればなるほど、歪で面白い楽曲がたくさん出てきているということで。ただ固まって整理整頓されるんじゃなく、等身大になればなるほどユニークになっていくものなんだというバンドの面白さがこれでもかと発揮されているアルバムですよね。たとえば“DUNK feat. Masato(coldrain)”を聴くと、ニューメタル的な楽曲をここまでダンサブルにできるんだという驚きがあるし、“DIKIDANDAN”も、裏打ちの楽曲を毒々しく聴かせるアレンジが効いている。めちゃくちゃいい意味で、変な曲ばっかりだなと思うんですよね。
- 中西「ははははははは。“DIKIDANDAN”で言うと、たとえば“Shala La”みたいな立ち位置になるのかな?って思ってた曲なんですよ。そもそも“DIKIDANDAN”って何だ?っていうところから入りましたし(笑)」 」
- はい(笑)。
- 中西「でも、『“DIKIDANDAN”って何?』ってなった時点でその曲にヤられてるわけですよ。それでいざ曲の中に入ってみたら、エグいことをやりまくっていて。歌の中身で言っても、ただヘイトを吐き出していると見せかけて、自分達を傷つけてくるものに対しての物言いであって。こういう強い言葉を吐けるのも、オーラルの強みやと思うんですよ。で、その強い言葉を吐き散らかすんじゃなくて、俺らが何を大事にしているのかっていう背景があって出てきている歌詞なのがいいなと思っていて」
- まさに。愛や幸せを脅かすものに対して徹底的にファイティングポーズをとって、そしてアルバム後半で愛と幸せを掲げていく。この作品全体のストーリー自体がオーラルからのメッセージだと思います。
- 中西「そう、強い言葉であればあるほど、自分達が生きてきた背景がないと説得力を持たないと思うので。そういう意味で、“Bitch!!”や“DIKIDANDAN”みたいな歌を堂々と書けるのは、バンドとして地に足が着いていることの証やと思います」
- そして、“SODA”以降は愛や絆をストレートに歌う楽曲がズラリと並んでいて。“Bitch!!”や“DIKIDANDAN”では、自分達を傷つけるものに中指を立てて。その上で、自分達の守りたいものをストレートに掲げていくアルバムだから説得力があると思うんですよ。凡庸な言い方ですけど、希望を見せるために毒を武器にするというか。そのメッセージの部分に対して、まさやんさんは何を感じましたか。
- 中西「拓也にはずっと言ってたんですけど、拓也が自然体で表現できる歌が一番いいと思うっていう話を以前からしてたんですよ。でも人って、身ひとつでステージに立てば立つほど鎧を着るようになっていくし、歪んでいくところもある。1対20000、SNSになれば1対30万っていう構図になっていくわけですから。嫌でも心が歪んだり、自然体が難しくなったりする。それでも、自然体の自分でいたいと願い続けるのが大事なことで。 いろんな経験をした上で、拓也は自分らしい幸せを見つけられたっていうことやと思うんですよね。“5150”みたいに自分の葛藤を吐き出した曲もあったけど、今は、自分の幸せを大事にするからこその強い言葉が載るようになった。それが素敵なことやなって僕は思いますね」
- “Savior of My Life”では、目の前の人や仲間に対する感謝がストレートに歌われています。この曲はどう受け取りましたか。
- 中西「この曲はデモの段階からサウンドが開けていたので、ライヴでもキラーチューンになるやろうなと思ってました。ダークなところに一筋の光が射すっていうのがこれまでのオーラルだとしたら、この曲は、ダークなものを無視せず、だけど光の面積が圧倒的に多いっていうのがいいなと思っていて。オーラルが持っている闇と光のバランスが、凄くよくなると思ったんですよ。どんな人にもダークなものがあって、でもダークなままでいたいわけじゃなくて。ダークなものをどれだけ抱えても、最後には光のほうに向かいたい。そういう気持ちを受け取って、人を連れていけるような曲だと思いますね」
- この曲に宿っている光というのは、今のオーラルにとってどんなものだと思いますか。
- 中西「オーラルはすでに、単なるバンド活動じゃないと思っていて。拓也の人生、シゲの人生、あきらの人生の中にTHE ORAL CIGARETTESがあるというふうに、人生の円の中にバンドがある。つまり、4人だけじゃなくて、その円の中にいる人を全部含めてのバンドなんですよ。それこそが今の僕らにとっての光だと思います。大事な人が増えた、守りたい人が増えた、一緒に歩みたい人が増えた。それを何よりも大事にして進んで行きたいし、そうやって進んでいけば大丈夫と思えてるんです。大事な人達と一緒に進んでいけるオーラルの未来に、凄くワクワクしてますね」
- このアルバムが最高傑作になった理由がクリアに伝わってくる話です。
- 中西「仮に『THE ORAL CIGARETTES』という名前を取っ払った時の拓也とあきらとシゲはどんな存在なんやろうって考えると、拓也は作曲家やアーティストとして唯一無二のものを持っていて、あきらは『ベースヒーローになりたい』っていう真っ直ぐな希望を言えるような人間で、シゲも人には真似できないギターを弾ける人で。つまり、それぞれが個として闘える人間なんですよ。それでも、全員がバンドで在りたいと思っていて、THE ORAL CIGARETTESとして歩んでいきたいと考えている。 個人として立てる人達が4人集まって、一緒に幸せを感じたいっていうのが根本にあって、そこに立ち返ることができれば、この先何があっても大丈夫だと思うんです。それが一番大きなテーマであり、大事にしたいことです。10年後にどんな幸せを掴めるかというよりも、このバンドを楽しく続けられることを考えていけば、そこに幸せがあるんじゃないかなと思ってますね」
- 伝わりました、ありがとうございます。本作『AlterGeist0000』のツアーも始まりますが、オーラルにとって久しぶりのライヴという意味合いもあります。ツアーに対しての言葉を、最後にもらえますか。
- 中西「『PARASITE DEJAVU』から今日に至るまで3ヵ月が経ったわけですけど、ライヴ活動を休止している間も、ファンの方からはたくさんの声援があって。僕は常々、ライヴに来てくれる方に何かを受け取って欲しいなと思ってきたんですけど、それだけじゃなくて、お客さんが僕らに対して届けてくれているものもたくさんあるんですよね。それを改めて感じましたし、僕らの音楽は一方通行なものではない。それを意識しないと成り立たない活動であり、それがどれだけ大事なのかを痛感して。 そういう気持ちを直接共有する場所になればいいなと思って、大事にライヴをやりたいなと思ってます。久しぶりに会う友達みたいに、最初はギクシャクするかもしれないんですけど。それも込みで、また2025年から新しい繋がりを作っていければいいなと思ってますね」
TEXT:矢島大地 (MUSICA)