- コロナ禍中に制作した楽曲をまとめたコンセプトEP『MARBLES』がリリースされます。このインタヴューを実施している現在は2024年の1月。コロナ禍が明けてしばらく経ったと言ってもいいですが、今、こういうコンセプトのEPをリリースしようと思った理由を伺っていいですか。
- 山中拓也:「元々、コロナ禍で作った楽曲をどう消化していけばいいかを悩んでいて。“Red Criminal”や“MACHINEGUN”はコロナ禍が明けたライヴのことを想像しながら作った曲なので、早めにリリースしてライヴで演奏してきたんですけど。でも他の曲は、コロナ禍で俺の身に起こった悲しいことをテーマにしているものだったんです。なので、コロナ禍がいよいよ明けました!っていう2023年にそういうシビアなテンションの楽曲を伝えるべきじゃないと思ってたんですよね。それよりも今はシーンの復活とライヴハウスでの楽しみ方を伝えるべきだと思ってたし、そういう気持ちでライヴハウスを回って、楽曲を作ってきたのが2023年だったんです。で、コロナ禍が明けて1年くらい経って、みんなも元の感覚を取り戻してきたタイミングだからこそ、楽しみ方を取り戻してきたがゆえに起こっている反動を感じるようになってきたんですよ」
- 反動?
- 山中:「コロナ禍前から起こっていたことですけど、みんなが使うSNSやテレビといったコミュニケーションツールの中身がこの数年でガラッと変わったじゃないですか。傷つけ合いが以前よりも目に見えるようになって、人の持っているキツい部分がさらに表に出るようになった。で、コロナ禍が明けた今も、人と人の間にあるドロッとしたものは増す一方のように見えるんですよね。俺自身もそれがキツくて、SNSから距離を置いている現実があって。もちろん嬉しいメッセージをいただくこともあるし、SNSを通して感謝が生まれることもあるんですけどね。でもそのツール自体がメインの世界に切り替わってしまっている現実はマズいと思うんです。SNSがメインの世界として加速したとて、みんなのストレスになって行くだけやから。で、そういうツールだけで人と関わっても本質的じゃないし、キツいだけやということをコロナ禍で痛感したはずでしょ?って思ったんですよね。この人といつ会えるかわからなくなる、だからこそ今会わなくちゃいけないっていう気持ちを痛いほど実感したはずなのに、いまだにネット上だけでコミュニケーションをとって、それによってストレスばかりが増大している。俺にはそんなふうに見えるんです。でも大事なのは簡易的なコミュニケーションではなくて、人と1対1で対峙する感覚じゃないですか。だって、隣にいる人との別れがいつ来るかわからないっていうことを俺らは実感したわけだから。そういう気持ちがあったから、2023年はライヴハウスで人とゼロ距離で対峙することを大事にしてきたんですよね。で、そういう1年を振り返った時に、ライヴハウスのシーンを取り戻した一方で、音楽を愛する一人ひとりの生活そのものは満たされているのか?痛みやストレスはそのままなんじゃないか?っていう疑問が生まれてきて。それもあって、コロナ禍で経験した痛みを生々しく注ぎ込んだ楽曲をリリースすることに意味があるんじゃないかと思いました。それがこのEPに至る経緯ですね」
- コロナ禍で感じた命の重みと儚さがあって。それを注ぎ込んだ楽曲達だからこそ、大事な人をちゃんと抱き締める生き方の指針になるはずだということですよね。
- 山中:「そうです。この1年ちょっと、東京から離れた場所で暮らすようになったんですけど、すべての中心みたいな街を俯瞰してみたり、いつでも集まれていた人達と距離を置いたりすると、当然ですけど自分ひとりの時間が増えるわけです。その時間と距離があることで、凄く冷静に『中心』と呼ばれるものを見られるようになったんですよ。今こういうことが起こってるとか、こういう大きな流れが生まれているとか、あるいは、誰にも止められない災害が遠くの街を襲ったとか——そういう大きな流れに対する人間の動き・言動が気持ち悪くない?って冷静に考えることが増えたんですよね。災害で大変な時ですら傷つけ合っている人を見ると、こんな人達がいる国で暮らしたくないわって思っちゃうくらいで。そういう感覚がこの数ヵ月で溜まっていって、この違和感とキツさがコロナ禍にめちゃくちゃ似てるなって思ったんですよ。で、そういうキツさを抱えながら作ったコロナ禍の楽曲を次のアルバムに持ち越すことができないと思ったんですよね。今の自分達の姿勢——ライヴハウスにいる仲間にフォーカスして、手の届く仲間と一緒に幸せを共有する活動に舵を切っていく中で、コロナ禍で作った楽曲は今のモードとは異なる重みを持っていると思って。それもあって、次のアルバムのヴィジョンとは別の形で今リリースすべきやな、と。この楽曲達が必然性を持って伝わるタイミングだと思いましたね」
- 2022年10月の「PARASITE DEJAVU 2022」で、「今までの山中拓也、さようなら」と言って炎に身を投げるシーンがあったじゃないですか。あのシーンについては以前、「バンドとして駆け上がるための策に縛られてきた過去を断ち切りたかった」と説明してくれましたけど、それ以外にも、痛みや鬱屈を引き受けるバンドから、自分と人に光を与えるバンドに生まれ変わるんだという宣誓でもあったと思うんです。それは、ライヴハウスを回りまくって人と交わり続けたり、「DREAMLAND」として明確な居場所作りをしたりした2023年が証明していると思うんですね。そういう意味で、コロナ禍の痛みを収めた『MARBLES』の楽曲は現在のモードと離れてしまう恐れがあるということも考えましたか。
- 山中:「2023年の活動で言ったら、確かに自分の幸せや周囲の人の幸せを大事にするモードだったと思うんですよ。でも今改めて、コロナ禍の痛みや苦しさを思い出してきた感じなんですよね。人と関わりたくないなとか、人ってこんなにエグいもんなんやとか、こんなに簡単に傷つけ合うんやなとか。いつでも等身大であることを大事にしてきたし、もちろん自分や仲間の幸せを望み続けるモードであることは変わりない。でも、やっぱりいろんなツールの中に渦巻いているものは目に入ってきてしまうんです。そうなると、ふとした瞬間に殻に閉じこもりそうになってしまうんですよね。そうやって塞いでしまいそうな自分と、目指したい幸せ。それを天秤にかけた時に、やっぱり自分は未来を大事にしたかったから。そういう意味でも、自分がちゃんと未来に向かうために『MARBLES』の楽曲をリアルに伝えられるタイミングで消化したかったんですよね。そうして全部を消化してから次に向かいたかったし、次の作品は、『FIXION』(2016年リリースの2ndアルバム)をもうひと段階レベルアップさせたアルバムにしようと思ってるんですよ」
- ライヴで熱狂を描くような楽曲を尖らせていく、ということ?
- 山中:「『FIXION』を作った時は、オーラル本来の像を押し殺してでもフェスで勝っていかなくちゃいけなかったし、お客さんにストレス発散してもらいながら『楽しくいこうぜ』っていうスタイルで行くしかなかったんです。要は、当時の自分達が駆け上がるステップのために割り切って作ったアルバムだった。でも今は、バンドとして大きくなることよりも、俺らの人間としての幸せを大事にして生きているから。仲間と一緒に幸せを感じながら生きて行きたいっていう等身大の自分になれたからこそ、純粋にライヴで楽しくなれるアルバムを作りたいんですよね。もうね、『FIXION』の時は『楽しくいこうぜ』とか言ってたくせに殻に閉じこもりまくってましたから(笑)」
- はははははは。
- 山中:「大人を信用してないとか、人を信用してないとか。とにかく殻に閉じこもって、ずっと牙を剥いてるだけだったので。そういう意味で、『目の前にいる人とライヴを作っていく』っていう『FIXION』のマインドは今のほうが体現できると思うんです。なので、もうひとつ上のレベルの『FIXION』を作りたいと考えていて。だからこそ、コロナ禍の最中で作った楽曲は次のアルバムに持ち越せなかったですね」
- 先ほど「大きな流れを俯瞰するようになった」という話がありましたが、2023年の春頃にコロナ禍が明け、実際にライヴシーンの規制も解かれていって、「さあここからだ」という大きな流れができた。でももう少し俯瞰して見ると、コロナ禍でコミュニケーションがデジタルに一極化して以降に表面化した、人間のドロドロした部分は何も解消されていないと思うんです。体が自由になっても、人間の心と心の距離は離れてしまったままというか。前を向いて生きましょう、という大きな流れがある一方、そこには入れない人々の行き場がどんどんなくなり、絶望もまた膨らんでいる状況だと感じてるんです。躁と鬱が極端化していってるというか。
- 山中:「そうですよね。コロナ禍が明けたからといって、人それぞれ人生の歩み方は全然違うじゃないですか。当たり前ですけど、早く前を向ける人と、時間をかけて前に歩み出す人がいる。何かが起こった時にどういう心持ちで生き抜くのかは人それぞれでいいし、問題は、人それぞれであることをひとつに束ねようとしてしまうことだと思っていて」
- ひとつになれないもの、人それぞれにある正解をまとめようとするから歪んでいくわけですよね。
- 山中:「そうそう。たとえコロナ禍が明けたと言っても今の空気に馴染めない人はいるし、それは何も間違ってない。その人にとっての幸せを大事にするだけでいいと思うんですよね。なのに、自分の承認欲求を外に向けて、正義感を免罪符にして人を傷つけてしまう行為があまりに多過ぎて。それは“YELLOW”を書いた時にも考えていたことなんです。自分の正義を振りかざして自分の道を行けばいいけど、それが誰かの人生を傷つけたり壊したりするのであれば、そこには制御が必要だっていう気持ちを込めたつもりなんですよ」
- <幸せ願うだけで/こんなに僕ら/傷つけ合うことを覚えたの?>というラインですよね。
- 山中:「自分の正義をどう使うのかっていうことが大事やし、自分と人の幸せを守っていくことこそが正義だと思うから。そのことを見失っている人が多い気がするし、自分もそうなっていないか?って疑うことが大事やと思うんですよね。自分を正直に貫くことと、正義感を盾にして正直に見せることは違う。正義の名の裏に流れているドロッとしたもの……それは、お金とか名声とか承認欲求かもしれないんですけど。正義に見せかけた欲によって人を傷つけているものが多過ぎるし、解放の方向性を理解できていないことが危険やなって思う。コロナ禍が明けて解放されたことを免罪符にして人を傷つける人間、正義を盾にする人間……そこで痛みを負ってしまう人が増えているということに目を向けたいなと思って歌ってます」
- 『MARBLES』を今リリースする意図を全部語ってもらいましたし、“YELLOW”の<罪と罰を全て受け入れるように/乗り越え続けてくんだろう?>という表現で愛を歌った理由もわかった気がします。承認欲求みたいな欲を抱えながらも、エゴじゃなく愛を選ぶんだっていう。
- 山中:「そうですね。それこそ2023年に回った放浪ツアー(地方のライヴハウスに赴くツアー。“WANDER ABOUT” 放浪 TOUR 2023北海道編、九州・沖縄編)ではお客さんからマイナスの空気を1ミリも感じなかったんです。正直、『PARASITE DEJAVU 2022』の時点では、国が強いた制限に対するマイナスの空気を感じてたんですけどね。マスクしなあかんとか、歌ったらあかんとか。そこでストレスを感じていたのはお客さんのほうやったんやなあって改めて思うくらい、放浪ツアーの解放感がプラスの空気に繋がっていて。それを感じて、俺自身も『こういう活動を続けることが俺にとっての幸せだ』と思ったし、この輪を全国各地で増やしていきたいと実感して。なんか……昔やったら『こいつ、いいことばっかり言ってて胡散臭いわ』と感じていたようなヤツに、今の俺がなってるんちゃうかなって思う瞬間もあるんですけど(笑)」
- ポジティヴな言葉しか出ないくらいピースで最高だし、本心から幸せな気持ちを表現できるっていうことですよね。
- 山中:「そうなんですよ。でも、それこそが人生やなって思えてきて。自分の浮き沈みだったり、生きていく中での経験値だったり、いろんな人と出会ったり、曲を作るための経験をしたり……その都度経験したことが今のリアルなマインドに繋がって、それが幸せやと思えてるので。人生って、そういう積み重ねの先で幸せを感じるためにあるんやなって思うんですよね。20代の頃は、自分が感じてきた痛みを武器にしているところもあったんですよ。でもそれを超えて今があるから、若い子に『オーラルのヴォーカルは聞こえのいいことばっかり言ってる』と言われても、『いろんな経験してみれば、ラヴ&ピースが大事だっていう気持ちになるよ』って思うんです。いろんな痛みや苦しみを経ることでラヴを感じられるようになってるし、そうやって世界が成り立っていることも今はわかるから。叩いてくるヤツに対峙するよりも、自分の愛する世界を自分で作っていくことが大事やって知ったというかね。それこそコロナ禍で実感したことであり、自分の愛するものを守って生きて行きたいっていうのが今のモードです。周囲にいる仲間が笑える世界を作りたいと思ってやってます」
- その気持ちが「DREAMLAND」という屋号になり、その屋号を掲げるイベントも実施して、2022年は好きな仲間と自由に音楽を制作し、コロナ禍が明けた2023年はファンとゼロ距離でライヴをやり続けて。そういう活動を展開してきたことで、「オーラル・山中拓也」としてではなく「いち人間・山中拓也」として音楽を鳴らせるようになってきたところもあるんですか。
- 山中:「ああ、そうかもしれないですね。めちゃくちゃわかりやすいところで言うと、道端でファンの人に声をかけられた時に『一緒に写真を撮るか・撮らないか』みたいな話があって。昔やったら、オーラルのブランディングを元に判断してたんですよ。でも30歳を超えてから、そういうブランドとか見え方を気にしなくなって。それこそコロナ禍って、素の人間に戻る時間でもあったじゃないですか」
- 部屋に閉じ込められたことで、社会的な肩書きやブランドが一切の意味を持たなくなったということですよね。
- 山中:「そうやって素の人間に戻る時間があったことで、俺のみならずメンバーの様子も変わったんですよね。THE ORAL CIGARETTESという肩書きと枠が外れたことによって、メンバー自身も個人の幸せと生き方を考えたんやと思うんですけど。で、4人それぞれが自分の幸せのために生きているっていう認識が生まれたことによって、バンドの居心地が凄くよくなったんですよ。バンドとしてのブランディングを4人で統一したかったのが20代の頃でしたけど、今は『人それぞれや』って思えるから。俺と同じで、他のメンバーも自分の世界を作り始めてるんやろうなって思いますし、ひとりの人間としてファンの近くにいたいと考えるようになったんでしょうね。打算なんて必要なくて、人間として一緒にいたい人とどれだけ近くいられるかが一番大事なんです。その感覚がコロナ禍以降の自分を動かしているし、ファンに対するファミリー志向が強くなったし。『DREAMLAND』はそれの最たるものですし、今回の『MARBLES』もそうですし」
- 今回のEPのサウンドの重み、そして“YELLOW”を聴いても、4人それぞれ音の主張がエグくなっているのに自然と溶け合うようになっていると思うんですね。今おっしゃったマインドは、音に出るものなんですか。
- 山中:「出てるんじゃないですかね?特にシゲ(鈴木重伸/Gt)については凄い進化をしていると思いますし。これは言い方がアレですけど……俺、今まではシゲの立ち位置がよくわかってなかったんですよ(笑)」
- はははははは!どういう意味合いで?
- 山中:「ギター弾いてくれている人、幼馴染、くらいだった(笑)。そもそもシゲ自身が変な人なんで、ずっと『わからんなコイツ』っていう感覚があったんですよ。でも最近のシゲを見ていると、凄く変わってきたと思う。“YELLOW”を作るタイミングでも、珍しく一番相談したのはシゲだったんですよ。ギターのフレーズに限らず、曲の構成全体に関してもシゲと相談しましたから」
- “YELLOW”はコーラスの重なりがリフ的な役割を果たしている曲ですし、そことギターのバランス感も話し合うことが多かったのかなと。
- 山中:「そうそう。それもめっちゃデカかったんですよ。“YELLOW”を作る時、いつもシゲが弾いてくれている感じと違うフレーズが頭の中に流れていたので。だからシゲといつも以上に会話を重ねたところもあって。その中で、シゲの音楽との向き合い方が変わっているなぁって感じることが多かったんですよ。シゲの『いい曲を作りたい』っていうマインドレベルが飛躍的に上がったというか。音楽を作ることにおいて、これからはシゲとコミュニケーションをとりながらやっていけるなと思えましたね。今までは自分の我を通すこととか、自分はこう在りたいっていう気持ちが勝っていた人なんですけど。そこが変わって、バンドとしていい曲を作りたいっていう気持ちが彼の中でどんどん強くなってる。そういう部分が、今の音に出てるんじゃないですかね」
- どうして“YELLOW”の話も聞いたかというと、拓也くんの思う愛の形を再度掲げるような歌だったからなんですね。で、それは近年のオーラルにとって大きいテーマだろうし、今回の『MARBLES』にも注ぎ込まれている気持ちだと思ったんですよ。たとえば“Red Criminal”では「世界には救えないものもある」ということが歌われていましたけど、それは反語的な意味だったわけですよね。「救えないものもあるけれど、目の前のあなたの手は絶対に離さない」っていう。
- 山中:「そうですね」
- “MACHINEGUN”でも、自分の感情を自由に解放していくことが人生であり、その背中を押すための愛を歌うんだっていう気持ちが歌になっていたと思う。で、そういったテーマ性は今作『MARBLES』にも通ずるものだと思っていて。喪失や悲しみが強く表れている楽曲達ではありますけど、<君無き夢>(“聖夜”)という言葉で失った痛みを綴ることで、それだけ愛する存在がいたということを抱き締める歌になっていくところがいいなと思ったんですよね。こう言われてみて、改めて拓也くんにとってどんな作品になったと思いますか。
- 山中:「たとえば喪失や痛みを経験した時に、それを一生の傷にしていてもしょうがないと思ったし、それを伝えるのが大事やと思って作った作品ですね。多くの人が喪失や痛みを負ったのがコロナ禍だと思いますし、だからこそ、その傷を受け入れて前に進むための歌でありたいと考えてました。これは『SUCK MY WORLD』で歌ったことでもありますけど、悲しいことも苦しいことも嬉しいことも、全部が集まって今があると体感しているのが今なんですよ。痛みや苦しみを経験したとして、その痛みを他者に向けて、自分と同じような傷を人に与えても何も変わらないじゃないですか。負の連鎖を生み出すだけで、その人も傷を一生引きずっているだけになってしまう。でも今の俺は、傷や痛みをちゃんと受け入れてあげることが大事だと思うんです。傷を引きずってもいいですけど、いつか『あの数年は俺にとって必要やった』と思えるようになるためには、やっぱり痛みを受け入れて前に進むしかないんです。俺自身も、友人を失ったり辛い時期があったり、コロナ禍はどんよりしていたわけです。でもそういう時間を経験したからこそ、自分の幸せとは何なのかを考えられたんですよ。日常を悔やまないように、苦しかった日常を肯定するための作品を作りたいと思った——それが『MARBLES』というEPであり、特に“隣花”、“IZAYOI”、“聖夜”はそういう曲やと思います」
- 時系列的には、“Red Criminal”や“MACHINEGUN”がリリースされた2021年〜2022年の間に録ってあった曲達なんですか。
- 山中:「歌詞は決まってなかったんですけど、オケ自体はコロナ禍の間に制作していたものですね。“隣花”も“IZAYOI”も、“聖夜”もそうか。2022年の6月くらいに作ってたんじゃないかな」
- “Red Criminal”と“MACHINEGUN”は、コロナ禍が明けた時にグチャグチャになって遊ぼうなっていう約束のようにしてリリースされた曲ですよね。それに対して、“隣花”、“IZAYOI”、“聖夜”は大事な人を失った悲しみが綴られている曲だと感じて。さらに音楽的にも、拓也くんの原点たる歌謡性が前に出ていると思ったんですね。こう言われてみて、思い当たる節はありますか。
- 山中:「かなり正直に、自分が出てきた曲達なんやろうなって思いますね。コロナ禍以前は、ずっとライヴをやっている状況だったじゃないですか。ずっと音の中にいたし、そういう環境に作用されて曲が出てくるところもあったんですよね。対バン見て刺激を受けたり、海外のバンドのライヴを観たり、少なからず他からの影響を受けながら音楽を作っていた。でもコロナ禍はひとりの世界に閉ざされたわけで、海外のアーティストもOASISをカバーするような状況になってたじゃないですか。要は、ひとりの世界で生きるようになると、やっぱり自分の原点だったり元々持っているものだったりを大事にするようになるんやなってことで。それと同じように、俺の原点的な部分が正直に出てきたんじゃないかな。本当にそのまま歌ってそのまま作った曲達なので。“IZAYOI”も、コロナ禍の中で揺れていた頃の気持ちがそのまま出てる曲だと思いますし」
- 揺れというのは?
- 山中:「陰な部分から光に向かっていくための転換期やったんですよ。俺の本当の幸せはどっちにあるんやろう?っていうふうに揺れていたというか。苦しみながら曲を作り続けて苦しみながらライヴをやり続けるのか、規模や状況に囚われず、好きな人達と一緒に幸せになっていく道を選ぶのか」
- 幸せになりたいと言えるのかどうかっていう心情も歌に出てますよね。
- 山中:「そういう揺れが強烈にあった時期に出てきたのが“IZAYOI”だったんですよね。なんなら、その時期はめちゃくちゃ潜りかけてたんですよ。『SUCK MY WORLD』のアリーナツアーが中止になって、Zeppツアーも飛んで。それによって、大きな規模でやっていくことに対する執着が消えたんですよ。うわ、ヤバい!っていうよりも、もう規模感云々はええやん、そこに何もないやんって思ってしまって。とにかく上に行くぞっていう感じでしたけど、その先に何があるんやろ?っていう自分も確かにいたし、俺らが上に行くことが誰のためになってるんやろ?とか、そもそも音楽ってそういうもんやったっけ?とか——そういう未熟さの中で揺れてたんですよね。で、それこそ大きなキッカケやったのが、オーラルチームでZoom会議をした時に、あきら(あきらかにあきら/Ba)が『拓也が大事にしている場所は大事にしたらいいけど、俺はオーラルとして上に行きたい』って言ったんですよ。俺はそれを聞いてハッとして。コロナ禍で素の自分に戻り過ぎていて、メンバーのことを忘れてたんですよね(笑)」
- (笑)。
- 山中:「メンバーがどう思ってるかとか、オーラルをどうしたいかとか、そういう部分が自分の中から抜け落ちちゃってたんですよ。あまりに自分の幸せについて考え過ぎていたがあまり。でもあきらの言葉を聞いた時に、改めて4人の行く先について明るくする必要があると思って。それで“IZAYOI”の最後の歌詞だけ書き換えたんですよ」
- <この先で僕ら誓った/必ず見せたい景色の果て/行こう無限の果て>。
- 山中:「そうですね。あきらのその言葉がデカかったし、自分の中でストップしかけていた思考回路をメンバーが開けてくれたんですよね。その感覚は素敵やなって俺自身も思えたし、だからこそ、揺れる気持ちから始まって光に向かって行く歌にできたんじゃないかと思います」
- <ハリボテのまま歌を歌う/肥大の渦に>というラインは、まさに今おっしゃった「規模を上げることが何になるんだろう」という諦めと、その最中で歌っている自分の嘘を独白している箇所だと思いました。こういう独白もちゃんと聴いてもらってからじゃないと次に向かえない、という気持ちも今回の作品には込められているんですか。
- 山中:「それはありましたね。現時点から過去の自分を歌うというか、過去を振り返りながら自分を歌ってみようというところから始まったのが“IZAYOI”なんですよ。なので、メンバーを含めた誰かと一緒に何かを成していこうっていう曲になる予定ではなかったんです。でもそういう曲が、バンドという関係性によって未来を想う歌になったので。それこそがバンド感やなって思えたし、そこに至るまでの自分の心情をちゃんと遺しておきたい気持ちがありましたね」
- “IZAYOI”は今作の中で最も強靭なグルーヴの楽曲で、そこにもバンド感が強く映っている。それと同時に、L’Arc〜en〜Cielの“Lies and Truth”が聴こえてくるようなメロディ運びもあって。あらゆる意味で、拓也くんの根っことバンドであることの意味を同時に感じる1曲でした。節がある。
- 山中:「ありがとうございます。仮の歌詞は同じサビで送ろうと思ってたんですけど、ちょうどその晩にあきらの言葉を聞いて。それで全部書き直して送ったんですよね。そしたら、あきらから『最後の歌詞めっちゃいい!』って言われたんですよ。だってお前の言葉で歌詞変えたからな!って(笑)」
- はははははは。
- 山中:「本人には言ってないですけどね?俺はメンバーに歌詞の意味とかを説明しないので。でも、メンバーと交わした言葉によって生まれた俺の気持ちはちゃんと伝わるんやなって思いましたね。だし、そのこと自体がいいな、バンドなんやなって思いました」
- “隣花”は儚いメロディが雄大に響くロックバラードなんですけど、<命の替えの隣に咲いた花を/全て手探りで探してしまう>という歌詞が凄く切なくて。形を失った命の代わりに、そこに咲いている花を愛でて生きて行く姿が見えるし、愛するものを失った痛みと今ここにある命との対比が伝わってきます。この歌はどういうところから出てきたのか、教えてもらえますか。
- 山中:「“隣花”を作ったのは……俺らの仲間の中で亡くなった子がいて。その子が亡くなったことがいち早く俺らに回ってきて、どうしたらいいかわからなくて、みんなで集まって喋った日があったんですよ。そしたら全員ボロ泣きやったんですけど、その時に『遺されたヤツのことを考えないのは罪やと思う』っていう言葉が自然と出てきてしまったんです。今こうやって悲しんでいる連中がいる状況があって、そこにいる全員が立ちすくんでいる現実があって。遺された人は、亡くなった人と同じくらいの傷を負うことがあるんちゃうかなってその時に思ったんですよね。自分に関わりのない人が亡くなった時に『ああ、そうか』で終わることが事実としてある中で、身近な人が亡くなった場合はほんまに別物で。なんなら怒りすら湧いてくるような気持ちになったんですよ。で、その帰り道で思うままに気持ちをメモして、それが“隣花”の歌詞の基になりました。……死ぬのは引っ越しするのと一緒やって言ってた人がいたんですけど、もうその感覚になってしまったら誰も止められないじゃないですか。それでね、きっと死ぬ直前は精神的に苦しくないんじゃないかなって想像してしまったんです」
- 逝く時はスッと逝くよね、おそらく。
- 山中:「でもそうなったら、死ぬ瞬間に俺らの顔なんてもう想像してないやんって思って。その時に、そこにいる人とか、あいつの周りにいる人を大切にして生きて行きたいと思ったんですよ。反面的にね。で、そうやって生きていくためのことを手探りで探していく……そういう気持ちが<命の替えの隣に咲いた花を/全て手探りで探してしまう>っていうフレーズになったんやと思います。<手探り>っていう言葉にたどり着くまで、めっちゃ悩んだんですよ。周りにいる人達のことを考えよう、みたいなフレーズなら死ぬほど出てくるんですけど、その時は命が消えてしまうことをリアルに体感していたから、そんな簡単な言葉で表現できないよなって思って。周りの人を大切に思っていたとしても、死ぬ時はそんなことすら考えられないんだろうな、みたいな複雑さ……その複雑さを表現するための歌なんじゃないかなって思いますね」
- <今を生きよう>で終わっていていい歌なのかもしれないけど、そこに重ねて<ただそれだけのことも出来ず/立ちすくんでた>という歌が出てくるところに、生々しさと本音を感じました。こうしてコロナ禍が明けても、あの時に感じた死の影が消えたわけじゃないと思うんですよ。肉体的に自由になっても、心に溜まった黒いものが解消されたわけじゃないというか。なんなら戦争も始まって、貧窮に苦しむ現実も見えてきて。そういう時代を生きる人の心を描く、非常に普遍的な歌だと思いました。
- 山中:「ありがとうございます」
- そして、“聖夜”について。『SUCK MY WORLD』以降を感じる、祝福感のあるバラードです。<君無き夢>という言葉には“隣花”にも通ずる切なさを感じますが、この曲はどういうところから出てきたんですか。
- 山中:「コロナ禍で何人か、身近な人を亡くしたんです。“聖夜”で歌っている<君>は“隣花”の対象とは違うんですけど、でも歌っていること自体は近いと思います。で、“隣花”はリアルタイムの感情と情景を込めた歌であるのに対して、“聖夜”はもうちょっと俯瞰できている歌なのかな。コロナ禍で起こったことはこうやったな、それも踏まえて前を向いて生きていかなあかんなっていう気持ちを大事にして書いたのが“聖夜”やと思います。それこそ“聖夜”の歌詞は『MARBLES』というタイトルにも繋がっていて、“聖夜”は今作を象徴する曲やと思ってるんですけど。過去の痛みを肯定して生きていくっていう気持ちを込められた曲ですね。何かを失う喪失感ですら、自分の人生には必要なものやったんやって受け入れていくしかない。そうやって進んで行こうねっていう気持ちが入ってます」
- 1番終わりのシゲさんのギターソロからは、祝福感すら感じて。命を賛美する感覚が込められている曲だと思います。こうして前を向けたことが、2023年のアグレッシヴなライヴ活動だったり、“YELLOW”で歌われる愛に繋がっていったんだなと感じました。総じて、愛を歌う前に言っておくことがありますっていう、切実な独白のような作品ですよね。
- 山中:「今作はもちろん配信もするんですけど、フィジカルの作品を販売することにした理由もちゃんとあって。たとえばライヴに行くと決めるのも、自分の人生における自発的行動じゃないですか。で、CDを買うこともそうやし、ライヴでモッシュするのもそうやし、静かに観るのもそうやし。全部がその人の選択やと思うんですよ。よく言いますけど、選択の連続で人生ができているっていうこと。だからこそ自分で動くことが大切やと思うし、感動したら買うっていう行為が大事やなって、『カンタンナコト』の時に実感したんですよね(『カンタンナコト』は2015年7月からフェス会場などで販売)。ライヴをやって『いいと思ったら買ってね』というキッカケを作ったことは、お客さんにとっても俺らにとっても前に進むための行動やったんですよ。そうやって行動することが凄く大切やし、ライヴに限らず、自分の意志でいろんな場所に赴くことは凄いことなんやぞっていうことを伝えたかったというか。ライヴに行く行為も自分自身で肯定して欲しいし、そうやって決断していること自体が自分の人生を前に進めているんです。そう感じて欲しくて、今作はCDとしても販売することにしました」
- 今回の作品の歌の内容はもちろんですけど、やっぱり生きている実感は手と足と心を尽くすことで生まれていくんだなと思います。ですし、その行動とキッカケを促すアクションは、今のオーラルの活動にも直結することで。そういう意味でいいタイミングでリリースされるなと思います。
- 山中:「手と足を使う以外に、愛を感じる方法があるか?って思いますからね。家にひとりでこもっているだけやったら、愛なんて生まれない。自分と人は違う存在だからこそ愛が生まれるわけですから。うだうだ言って同じ場所にい続けるのもその人の選択やんって思っちゃうし、人のせいにしていいことじゃないんですよね。そうじゃなくて、自分の意志で外に出て、ライヴに行く行動も自分の人生の選択やと思うだけで、『私は動けてる』っていうふうに自分を肯定できるキッカケが生まれると思うんですよ。そういう作品になればいいなと思ってます」
TEXT:矢島大地 (MUSICA)
PHOTO:Satoshi Hata