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    • 本インタビューは10月中旬に公開を予定しておりましたが、ライブ活動休止に伴い、公開を延期しておりました。 時間が経過してしまいましたが、予定しておりました内容のまま公開させていただきます。

    • オーラル主催のイベント「PARASITE DEJAVU 2024」直前のタイミングで実施しているインタヴューです。ということで、新曲“UNDER and OVER”の話はもちろん、今のオーラルのモード、この先でリリースされるアルバムについての話も含めて伺えたらと思ってます。
    • 山中拓也「了解です、よろしくお願いします」
    • まずは、10月2日にリリースされた新曲“UNDER and OVER”について伺います。ファンクとソウルを下敷きにしたポップな楽曲なんですが、こういう曲が、ライヴハウスでアグレッシヴなライヴを繰り返してきた今、しかも「PARASITE DEJAVU 2024」の直前に出るというのが面白いなと思いました。ガツンとしたロックサウンドに限らず、ダンスチューンで人をハッピーに躍動させる狙いもあったんじゃないかと思うんですが、拓也くん自身はどんな感触を持っている楽曲ですか。
    • 山中「感覚的な話ですけど、いわゆる『THE ORAL CIGARETTESのリード曲』というと、激しくてワチャワチャできる楽曲のイメージが強かったと思うんです。それは俺らにとっても、お客さんにとっても。でもライヴをたくさんやってると、そういう激しいタイプの楽曲が渋滞するようになってきたんですよね。最近で言ったら“BLACK MEMORY”や“狂乱 Hey Kids!!”をセットリストから外す日も出てきたくらいなので。その時々のライヴの空気とか、そのフェスへの思い入れも含めてセットリストを組むとなると、俺らの代表曲とはいえど全部入れることは難しくなってきた。その中で、アグレッシヴな曲とは違うタイプの曲というか、聴いた人にノリ方を任せることで多幸感を生み出せる楽曲が欲しいなって思うようになったんです。 それで、グルーヴによって多幸感が生まれていくタイプの曲って、俺らの中では“LOVE”くらいしかなかったんじゃないかなと思っていて。でも“LOVE”はリード曲として出したものではなかったし、どちらかと言えば最後を締め括るイメージの曲やったから。その間のちょうどいい感じ--、体を揺らせてノれる感じと大団円感の中間を担える曲がセットリストの中にあったらええなって長らく考えてたんですよね。俺らも歳を重ねてきて、激しさとは異なるライヴ感を欲する場面も増えてきて。そういう楽曲を作りたいっていう気持ちから出てきたのが“UNDER and OVER”やと思います」
    • 「ライヴ感」のヴァリエーションが増えてきたということですよね。
    • 山中「ライヴ感もそうですし、大きいのは、ライヴでの機能性だけじゃなく音楽的な部分で楽曲に向き合うようになったことなんですよね。この楽曲はライヴでどうなるのか?っていうのと同時に、音楽的にどうなのか?っていうことも考えるようになった。それで、そういう意識が強まっていったのが、ちょうど“UNDER and OVER”のタネを作っていた時期のような気がするんです。 この曲のタネを作っていたのは、“MACHINEGUN”(2021年)とかを作っていた時期のちょっと前やったかな。ライヴ的にどうこう以前に、音楽的に言ったらこういうメロディの移行が美しいよな、とか。この音符をこっちに持って行ったほうが音楽的やんな、とか。そういう感覚が芽生えた最初の曲が“UNDER and OVER”だったんですよね。その当時はまだコロナ禍で、日本を代表するアーティストと会って話をする時間が多かったんですよ。そういう時に『拓也のあの曲、もっとこうしたらよかったと思うよ』とか『こうしたほうが音楽的だと思うよ』みたいなことを言ってもらってたんですよね。その頃は今と少しモードが違っていたので、より大衆に届く楽曲を作るにはどうしたらいいのか?っていう相談を彼にしていたんです。それもあって、ポップスとしての音楽的な理論をどんどん吸収しようと思ってたんですよ」
    • 当時、「『SUCK MY WORLD』の後はロックに回帰する」と常々おっしゃっていましたが、ロックモードに至る前に「まず大衆に届くヒット曲が必要なんじゃないか」と考えていた時期があったということ?
    • 山中「そうなんですよ。その時に彼と話をして、音楽的な理論を吸収することから始めて。それを実際に落とし込んで作ってみようと思って取り掛かったのが“UNDER and OVER”のタネを作ったきっかけだったんです。でもポップスの理論を全部消化できたわけではなかったので、どう完成させたらいいのかはわからず、一部分だけ作って置いてたんですよね。で、わりかし長い期間をかけて作って、今ようやく完成したという」
    • その某アーティストと音楽談義をしていたコロナ禍当時は、初めてポップス理論と対峙する期間でもあったんですか。
    • 山中「はい。それまでは、もっと感覚的にソングライティングしてきた人間で。ライヴの景色を想像しながら楽曲を作ることが多かったので、音楽に向き合っているというよりはライヴに向き合っている感覚のほうが強かったんですよ。俺らほどライヴを多くやっているバンドって、俺らのシーンにしかいないじゃないですか(笑)。月に5、6本ライヴがあるのって、ロックバンドのシーンくらいなんです。 そうなれば必然的にライヴを軸にして楽曲を作るようになるわけですけど、そうじゃなくて、楽曲だけで世の中に広がっていく世界線ってどんな感じなんやろ?っていう興味があったんですよね。そういう意味でも音楽的な知識と理論を自分の中に入れてみてもええんちゃうかと思ってたし、知らずにやらないよりも、知っている上でやらない選択肢を採るほうが自分でも納得してロックを貫けると思ったんです。なので当時は、音楽的な構築と分解を理論的にできるようになることがテーマでした」
    • そういった経緯もあって前作“DUNK feat. Masato (coldrain)”までのミクスチャーモードとは異なるポップチューンになったわけですが、そういう楽曲が今のご自身のキャリアと年齢にもハマると考えたのは、いまのオーラルをどう位置づけているからなんですか。
    • 山中「これまでのオーラルは3タームくらいに分けられると思うんですけど……まずメジャーデビューしてからの3、4年で、お客さんが10人くらいだった頃から一緒にやっていたバンド達とのし上がっていって。当時は特にフェスが主戦場でしたから、そこでどれだけお客さんを掴めるかがキーになっていたわけです。じゃあやっぱり盛り上がれてワチャワチャできたほうがいいよねっていう考えで『FIXION』までの期間を闘っていって。それが第1タームで、じゃあ次はより一層自分のルーツになったものを表現していこうと考えて『UNOFFICIAL』と『Kisses and Kills』を作ったんですね。ルーツというのは音楽だけに限らず、俺らが人生の中で何を大切にしてきたのかを伝えるという意味でもあって、それを表すために作ったのが『UNOFFICIAL』と『Kisses and Kills』だったんですよ。 じゃあ次は今まで向き合ったことのない音楽にフォーカスしていこうっていうのが第三タームで、『SUCK MY WORLD』を作ったと。そうやって作品ごとに音楽が変化してきたので、当然、ライヴもその時々で変わるじゃないですか。第一タームは『よっしゃ行くぞ!』っていう感じでひたすらアグレッシヴな曲を詰め込んで、ビッグマウスをかまして。第二タームは武道館でのライヴが控えていたのもあって、より深く自分達の内面にあるものを研ぎ澄まして伝えるようにして。だからMCにも本音がどんどん増えていったと思うんですね。で、第三タームに入って行く前に大きかったのは、2019年に初めて開催した『PARASITE DEJAVU』だったんですよ。あの時のライヴで初めて、激しくない曲をラストに演奏したんですよね。 その時の多幸感というか、幸せな気持ちで終われる美しさを知ったことがほんまに大きくて。元を辿ると、2018年のSUMMER SONICでCHANCE THE RAPPERを観た後の帰り道が凄く幸せで、『こんな気持ちでライヴから帰るの久しぶりやな』って思ったんですよ。それまでしばらくは、汗かいて楽しかったとか、めっちゃヘトヘトやけどスッキリしたなとか、ライヴキッズ的な感覚のほうが強かったので。でも、チャンスとかTHE 1975を観た後の、心が温かく満たされていく感覚。それによって、こういう気持ちになれるライヴ、楽曲を俺も作ってみたいと思うようになって。楽曲だけじゃなく、ライヴの起承転結の作り方も含めて凄く考えるようになったんですよね」
    • 面白い話ですよね。散々ライヴを重ねてきたのに、その起承転結の大事さを2018年に学んだっていう。
    • 山中「そうなんですよ(笑)。そのことが自分にとって大きなポイントになって、『PARASITE DEJAVU』みたいな大きなライヴでこそ新しい挑戦をしようと思ったんです。それで“LOVE”を後半に持ってくるようなセットリストを組んでみたら、ライヴ後に自分自身も温かい気持ちで満たされたんですよね。初めて味わうライヴの感覚やったし、最後にドーンと盛り上げる以外のライヴ感も自分達の選択肢として持つべきやと思ったんです。そのためにはライヴとしてのストーリー作りも必要になるし、じゃあガツンと聴かせるのとは違うタイプの楽曲も欲しいと。 きっと“エンドロール”とかをライヴでやったらコアなファンは喜んでくれるやろうけど、より広く知ってもらえる曲でライヴのストーリーを作っていくためには、“UNDER and OVER”みたいにポップな楽曲が必要やった。なので、ここまでの歩みに伴ったライヴ感の変化によって、この曲を作ろうと思った感じです」
    • 拓也くん自身の話で言っても、温かくて幸せな自分を許せるようになったことが“UNDER and OVER”に繋がっていると思いますか。
    • 山中「おっしゃる通りで。自分達を大きく見せたりカッコつけたりしなくなったのが大きく作用していると思います。バンドとしてどう駆け上がって行くかよりも、人間としての幸せを見つけて行くことが何よりも大事やって言えるようになったこの数年がこの曲の温かさに出てるというか。……ただ、この曲がどんな広がり方をしてくれるのか、ライヴで演奏したらどんな空気感になるのか、そういう部分はまだイメージできてないのが正直なところなんですよ。この曲のタネを作った当時のモードで言っても、どちらかと言えばイヤホンを耳に挿して聴く時の感覚を優先して作っていたから。ライヴ感よりも、曲として届けるための方法論で作ったというか。だからライヴで演奏する楽曲としてはどうなのかな?っていうのを模索している段階ではあります」
    • 「WANDER ABOUT 放浪TOUR」シリーズで日本全国のライヴハウスを回り、ガツガツとしたライヴを続けてきた1年があって。より目の前の人と近い距離感で、目の前の人に対して開きながら、ミニマムな関係性を大切にしてきたのがコロナ禍以降のオーラルだと思うんですね。そんな昨今の拓也くんは、大衆というものに対してどんなスタンスでいるんですか。
    • 山中「あくまで俺達が目がけて行くのはライヴハウスのお客さん達やけど、それと同時に、音楽やライヴハウスに詳しくない人が楽しめる楽曲の完成度も高めていきたい……っていう感じですかね。めちゃくちゃ正直な話をすると、もしアニメのタイアップの話をいただいていなかったら、ガツガツしたライヴをやっている今のモードの中で“UNDER and OVER”を書き下ろして完成させていなかった可能性もあります。コロナ禍以降の自分達のモードとしては、あくまでロックシーンに身を置いてロックを復興させていくっていうところでブレてないんです。で、この数年、ロックシーンを改めて盛り上げて行くために何をすべきかを考え続ける中で、改めて気づかされることが多かったんですよね。 ロックシーンでやってきたことと、自分の人生を通して感じてきたことがリンクしたというか。今おっしゃったように、大切な人との関係を濃密にすることで自分自身の幸福にフォーカスするようになってきて、クリエイティヴにも俺の友達がどんどん入ってくれるようになって。オーラルの4人としても、お互いの幸せを尊重するようになっていって。でもその姿勢って、外を全然向いていないとも言えるじゃないですか」
    • そうですね。閉鎖的とは違うんでしょうけど。
    • 山中「ハッピーな内輪というか、いい意味での村意識というかね。その意識自体は今後も変わらないとは思うんですよ。人生の答えがそこにあるっていうくらいの気持ちでいるから。ただ、その中でTVアニメ『来世は他人がいい』のオープニング主題歌のお話をいただいて、“UNDER and OVER”のタネを引っ張ってきてしっかりと完成させて。しかも“UNDER and OVER”がアニメチームから一発OKをもらって。そういう制作って、久しぶりに自分達の外を意識せざるを得ないものだったんですよ。お茶の間に流れる曲であり、多くの人に届くかもしれないということは俺もわかっていたから。今の流れやったらめちゃくちゃロックな曲でええんちゃうか、今のオーラルのモードとして矛盾してるんちゃうか、じゃあなんでこの曲の制作をやったんや俺は……みたいな迷いも一瞬あったんですけど、もう運命みたいなもんで、『このタイミングで気づけよ』っていうことやった気がするんです。 やっぱりね、自分達の音楽をより多くの人に知って欲しいっていう気持ちは俺の中にずっとあるんですよ。そういう気持ちがあるんやって気づかされたし、何より『ロックシーンを復興する』と言うのなら、やっぱりロックをアンダーグラウンドのもので終わらせてはいけないんですよね。これは『PARASITE DEJAVU』でもしっかり話さないといけないと思ってるんですけど。だからこそロックシーンとお茶の間を繋ぐとか、ロックシーンと他ジャンルの架け橋になるとか、そういう意志を表現してきたバンドやと思うんです。今の俺らが身を置いているロックのシーンっていうのはテレビに載せにくいのもわかる。タトゥーいっぱい入ってるヤツもおる。そもそも汚いライヴハウスに生息しているもんやったバンドがフェスによって市民権を得てしまっただけやと思ってる俺もいる。まあアンダーグラウンドっていう言葉自体が定義を持たないものですけど、それでもやっぱりロックシーンを盛り上げるためには、ロックシーンがここにあるんやっていうことを多くの人に知らしめるべきなんですよ。 なんなら、多くの媒体が『ロック』と呼んでいるものも、俺らは全然ロックやと思ってないし。だとすれば、自分達の村を耕せたのなら、なおさら『これがロックです』というものを大衆に向けて放つべきなんじゃないかと思ったんですよね。モッシュやクラウドサーフがバーッと起こってて、鳴ってるのも激しいハードコアで、みたいな映像がテレビで流れて『これが日本のロックバンドです』って言われる世界線はもう不可能なの? そんなわけなくない?っていう。そこに刺したいし、それを諦めてしまう流れが一番気持ち悪いんやなって気づいたんですよ。ロックのカルチャーを証明したいのなら、そういうマスの流れにもっと抗っていいと思うんです」
    • 1999年の「CDTV」にDragon Ashが出演した際、Kjさんがマイクを逆さに持ってパフォーマンスしたみたいな(口パクが通例となっていた音楽番組に対するアンチテーゼとして、敢えて口パクであることを見せた)。
    • 山中「そう!ああいうことがもっと起こっていいと思ってるんですよ。Kjのあのパフォーマンスは今も語り継がれているし、ロックバンドは優しいものだとか、大衆に向かって行くならロックバンドの形を変えなくちゃいけないとか、今まで繋がれてきたカルチャーを大衆向けに捻じ曲げてもいいとか、それはやっぱり納得いかない。そんなことやっても、ただのポップスへの変換じゃないですか。これはポップスを悪く言ってるんじゃなくて、ロックバンドがロックバンドのまま伝わらなくちゃ意味がないっていうことなんですよね。幸い俺らには手札がたくさんあるし、腹を決めてロックシーンに居座り続けながらもシーンやジャンルを橋渡しできるだけの仲間がいる。だったら堂々とロックバンドとして大衆に向かっていけばいいっていう考えに至りましたね」
    • 大きな変化ですよね。マグマみたいなライヴをやってるんだったら、そのまま地表に噴き出してナンボでしょっていう。
    • 山中「自分のリアルを追い求めることを第一にし始めたっていうことですよね。『PARASITE DEJAVU 2022』は今までの山中拓也に別れを告げて終わりましたけど、あれは、本当にカッコいいと思うものや居心地のいい場所だけを追い求めて行くっていう宣言だったんですよ。実際、ロックバンドとしていろんなライヴハウスを回ったり、先輩や後輩と対バンしたりっていう活動は凄く居心地がよかったんです。無理して飲みに行って人にヨイショしてる自分は楽しくなかったし、そんな芸能っぽいことをしても無駄やと思ったので。やっぱり肩書きなんてどうでもいいって思っちゃったんですよね。どんなに有名でもしょうもない人はしょうもないですから。だったら自分の大切な場所を大切にして、その居心地のよさとカッコよさを多くの人に伝えていきたいと思う。それが今の自分ですね」
    • コロナ禍の規制と制限によってシーンの文脈が一度切断されて、「ロックとは何なのか」という概念自体を必要としないバンドも増えてきたと思うんです。だけど拓也くんのもっと上の世代から育まれてきたロックの土壌は確実にあって、ライヴハウスの活況が戻ってきた今こそ、そのカルチャーを各々の精神性でもって伝える時期が来たと思うんですよ。やっぱり「ロック」というのはスタイルじゃなくて精神性に宿るものだと思うしね。今回の「PARASITE DEJAVU」も含めて、凄くいい勝負を繰り広げようとしているんだなと感じる話でした。
    • 山中「ロックバンドって、そもそもは外に向いてないものやと思うんですよ。自分の衝動と意志を曲げずにいることがロックやから。一般的には言っちゃいけないとされていることだって、自分が本当に思っているなら言っちゃってもいいんです。海外のシーンを見てみても、ロックバンドが政治について言及するなんて当たり前のことじゃないですか」
    • 生活の延長線上で、シカトするのが不自然なくらい逼迫した状況が広がっているわけですからね。
    • 山中「そうそう。それを日本で広めたくてやっているわけではないですけど、政治だろうが何だろうが、元にある精神性は一緒だと思っていて。ひと言で言えば、自分にとって大切なものを簡単に手放しちゃいけないよっていうことなんですよ。仲間を雑に扱う人とは友達になれないとか、大切な人の生活を脅かすものとは徹底的に闘うとか。そういう精神性を一本貫いてやっているかどうかがロックにとって一番大事なことやと思うんですよね。保身のために人を適当に扱うとか、見え方のために嘘をつくとか、そういう姿は全然ロックじゃないと思う。 自分が引いた線の外の人からはどう見られてもいいけど、自分が守りたい線の中の人にはちゃんと信頼して欲しい。そのための行動を貫ける人はライヴもカッコいいし、嘘がなくて真っ直ぐな言葉を伝えられると思うし。世間的な意味での『ロックはこうすべき』っていうものはないけど、俺の思うロックの姿とはそういうものやと思ってます。……20代の頃に良い大学に通っていたあきら(あきらかにあきら/Ba)とシゲ(鈴木重伸/Gt)を引っ張って、『ロックやろうよ』って言った時の自分は、外に向けた活動をしなくちゃ言い出しっぺの面子が保たれないと思ってたんですよ。 何しろ外からの評価を得なければ船が沈んでしまうし、大切な仲間の人生にも迷惑をかけてしまうから。だからズル賢くのし上がっていくための活動をしてたと思うんですよね、最初の頃は。でも今はそういうところから徐々に解放されて行って、ようやく自分のリアルだけを追い求められるようになった。そういう時に『やっぱりロックシーンの力を広く知らしめるべきだ』っていう気持ちを無視するのは違うなと思ったし、日本語で歌っていようが英語で歌っていようがロックはカッコいいと思わせるのがロックバンドなんじゃないですか?って先輩達のケツを叩き続けたいとも思うんですよ。幸い俺は、それこそKjみたいにロックをオーヴァーグラウンドに持って行った人達の姿を見てきた世代やから。このシーンをこのシーンの形のままで伝えていくことに一番の意味があると思ってます」
    • 今おっしゃったことは“UNDER and OVER”の歌詞にも表れていると思いました。自分のリアルに従うこと、自分のロマンを指針にしていくという気持ちがそのまま「少年の自分が道標になっていくんだ」というリリックに映っているように感じたんですよね。
    • 山中「この曲を書き下ろす時に、『来世は他人がいい』の主人公ふたりの背景をまず考えたんですよね。学生時代のふたりの関係と、大人になってから血筋とヤクザの関係に巻き込まれていくふたりの関係。そのふたつをUNDERとOVERという言葉で表せると考えたんですけど、これは俺の気持ちをそのまま綴った歌でもあるんですよ。歌詞を書くのはめちゃくちゃ時間がかかったんですけど、やっぱり音楽的な構築と音楽的な美しさに比重を置いて始まっている曲やったんで、歌詞が音としてどう聴こえるのかっていうハメ方に苦労したんです。なので、この曲に対して何をどう書いたらいいのかわからなくなるくらいだったんですよね。歌詞というよりもサウンド的に考えちゃってたから。 で、この楽曲を書きながらいろんな人と話していく中で“UNDER and OVER”っていう言葉が出てきたんですけど--、思えば『The BKW Show!!』の頃から、俺らの楽曲には『人間の裏と表』っていうテーマがつきまとってるんです。最初の頃は、裏表の裏を肯定するんですよっていうことを言い続けてたんですよ。結局それって、俺自身が自分の裏を肯定できていなかったからなんですよね。自分に言い聞かせるようにして、人には見せられない裏の部分やコンプレックスを肯定しようともがいてた。 でも最近の自分は、コンプレックスに思っていた部分を受け入れて生きられるようになって。そういう、『自分はなんてクソな人間なんだ』と思ってしまうような裏の部分やコンプレックスを受け入れられるようになっていく過程こそが人生やんっていうことを歌にしたつもりなんですよね。裏を受け入れて生きていく、そういう自分になっていくことこそが人生なんやっていう。そういう歌詞やと思います」
    • <振り返るな/進むままに/次のUNDER and OVER/これこそ人生と思ったんだ>というラインですよね。凄くいいなと思ったのは<生まれ変わったように/見せてこれたけど>という箇所なんですよ。生まれ変われるかどうかも、結局は自分の心の声に耳を傾けられるかどうかなんだっていう意味合いがここから聴こえてきたんですよね。そこに拓也くんの人生の過程が滲んでいると思ったし、運命が定められていると知ったら行かないのかと言ったら、それでも行くんだという宣誓のようにも聴こえたし。ポップである以上に、とてもポジティヴで痛快な歌だと思いました。
    • 山中「一気に書き上げるんじゃなくてブロックごとに歌詞を書いていったので、それこそ自分の過ごした季節が歌に入ってる気がするんですよね。<幼気な少年はいつも唄う/愛したい君は死体だった>というラインで言うと、その少年も死体も自分のことなんですよ。自分のことを真っ直ぐに愛したいけど、愛したい自分はいつも死んでるよな、みたいな。だけど綺麗な群青の夜に羽を広げて飛び立つ自分を思い描いてるし、ダメな自分に何度も<「バイバイ」>と言っても、それは結局<「またね」>っていう意味合いやったし……ダメな自分から目を背けても、やっぱりいつかはまた再会する。じゃあ過去の自分と真っ直ぐに対峙して受け入れるしかないんですよ。今だからわかること、今だから対峙できる自分の歩みがテーマになってる歌やと思いますね 」
    • ガツンとしたロックモードで攻め立てている中で、ご自身の人生観を真っ直ぐに表した曲をポップな形で届けるのはいいことだと思います。ライフストーリーをストレートに綴っているからこそ、広く届けるためのフックがあるのは大事ですよ。
    • 山中「ね。届いたらええんやけどなあ……これが届かなかったら俺のポップス感覚がズレてるんやろうなって感じですよ(笑)。まあ、自分はアホやなって思うところも結構あるんですけどねぇ」
    • どういう意味(笑)。
    • 山中「ポップな曲を作るんやったらもっと振り切ったらええやんっていう自分もいるから(笑)。もっと大衆に届きやすい曲、大衆に響きやすい元気な曲にしましょうっていう方法論もあるじゃないですか。MVももっと自分達のルックスを伝えやすいようにして、俺がわざわざ化粧せずにやればええやんっていう考え方もあったんです。ただ大衆に届けようと思ったら、謎のダーク要素を入れなくてもよかったんですよ。でも、どんなにポップな曲でも尖ったファクターを入れないと自分を保てなかったんやと思うんですよね。そういうバランス感覚も自分で受け入れてるところやし、この曲が飛んでくれたら万々歳やけど、飛んでくれなくても俺は幸せにやれるぜって思ってるから。だから、明るいMVにしたらええのに目の下を真っ黒にしたんやと思います。………あ、今気づきましたけど、昔と真逆のバランスの取り方をしてますね」
    • そうですね。昔はダークな内面に対してポップな要素を取り入れて行く順番だった。
    • 山中「ほんまや! 逆のバランスを保ってますね、今は。ポップにするためのバランスをずっと考えてきたけど、今はいかに本当の自分を保つのかっていうバランスをとってる。それが凄く健康的なことやと思えてるから、それでええんやろなって思います」
    • 今日の話を聞いていても、そう感じました。そして、いよいよアルバムのリリースがアナウンスされました。“UNDER and OVER”という新境地で外への勝負をしかけつつ、やっぱり“DUNK feat.Masato (coldrain)”のようなラウドなモードが基軸になっていくんでしょうか。
    • 山中「めっちゃ簡単に言うと『FIXION』のアップデート版みたいなアルバムです(笑)。今のライヴのモードと、音楽的な進化。その両方をちゃんと注ぎ込んで、『こういう曲なら盛り上がるやろ』っていう感覚だけでやっていた頃の自分達を更新していく作品やと思います。その上でお客さんも楽しんでもらえるような楽曲が揃ってますね。人生の過程とも繋がってくる話なんですけど、奈良でお世話になっていたNever Looking Backというバンドの人と一緒に曲を作ったり、活動の中で知り合ったthe McFaddinのRyosei(Yamada)と一緒にやったりしていて。 自分の人生の中で知り合った大切な人との関係も表現できたんじゃないかなと思います。このアルバムの曲だけでセットリストを組んでもみんな満足してくれるでしょって思うくらい、本当にやり切ったつもり。楽しみにしていて欲しいですね。……やっぱり、褒めて欲しいですよね」
    • ははははははは。
    • 山中「俺のソングライティングの幅広さにそろそろ気づいて!っていう感じですよ(笑)」
    • “DUNK feat. Masato (coldrain)”も不思議な曲ですもんね。ダンサブルなニューメタルっていう。
    • 山中「ははははは。オーラルがハードコアをやるの?って思う人もいるでしょうけど、ラウドとかポストハードコアとかをそのままやるんじゃなくて、俺が重い音楽を昇華したらこうなりますよっていうことなんですよ。ハードコアをやろうが何をやろうが、絶対にオーラルらしい形になるから安心して聴いてねって思うんですよね。そういうオリジナリティとかオーラルらしいユニークさに対して自信があるし、その自信があるからどんな音楽でも取り入れて幅広く曲が書けると思ってる。 それは“Enchant”の時にも思ったことですけど、オートチューン使ったとしてもライヴで聴いたら絶対にオーラル節として受け入れられる自信があったんですよ。そうやってライヴで聴いたら絶対に響くであろう曲を幅広く作ってきたし、そういうアルバムになるんちゃうかなって思いますね」
    • “DUNK”には<跪けよ No one was there>というラインがありましたが、今はまだ誰も成していないことに向かって行く突破感をどんどん込めていく感じなんですか。「PARASITE DEJAVU 2024」も含めて。
    • 山中「そうですね。言葉にすると偉そうに聞こえるでしょうけど--とにかく売れたろ!っていう感じだったバンドが最終的に仲間やフッドのところに立ち返っていく過程って、俺にとってはDragon Ashやったんですよね。オーヴァーグラウンドも見た上でステージに立ち続けるDragon Ashの存在感ってやっぱり凄くて。初めてフェスで観た時も、この人らって未だにライヴバンドであり続けてるの?っていうイメージやったんですよ。そういう意味でも貴重な存在やと思うし、マキシマム ザ ホルモンに対してもそういう気持ちを持ってるんです。で、俺らの世代はそこに憧れてやってきたけど、憧れのままで終わってない?っていうのが俺の気持ちなんですよね。結局、このロックシーンを守ろうとしてるヤツってどれだけいんの?っていう。 俺の周りだと04 Limited Sazabysくらいやと思うんですよ。それだけじゃ、いずれ俺達が憧れたロックバンドの姿は途絶えてしまうので。若い世代から『古い』と思われようが、ロックバンドのカルチャーを背負ってきた自負がありますから。その気概を持ってどこまで行けるかっていうのがテーマですね。……この前Kjと飲みに行った時に、『お前はフェスでオーヴァーをやり続けないといけないよ』って言われたんですよ。その姿について行きたいと思わせないといけないし、なんならフェスのメインステージから外れた瞬間にバンドをやめるくらいの責任感がないとダメだって言われて」
    • Kjさん流の最大のエールですね。
    • 山中「確かにそうやなって思ったし、自分がメインステージから外れた瞬間に、やっていることの説得力が落ちてしまうやろうなと思ったし。自分達のポジションをキープしながら、周りの仲間の面倒を見られるくらいでいたい。そういう言葉をかけてもらえることが嬉しかったし、『PARASITE DEJAVU 2024』も含めて、憧れられる存在になろうっていう決意を込めてやっていきたいと思ってます」
    • 「PARASITE DEJAVU 2024」はデビューからの節目を刻むタイミングとしてもバッチリだし、ピュアにオーラルの祝祭としても楽しいとは思う。だけどそれ以上に、かつてなくストレートにロックバンドのプライドを見せるものになるんだろうなと予感してます。このインタヴューが出ている時点で「PARASITE DEJAVU 2024」は終了しているわけですけど、改めて、パラデジャに向けての所信表明を伺って締めましょうか。
    • 山中「俺達はもうTHE ORAL CIGARETTESという個体じゃなくなったよ、大切な人全員を連れて行くための集合体になったんだよっていうことを示せたらいいなと思っていて。20代の頃は『他はどうでもええ、俺らは行くぞ』っていうスタンスを嫌というほど突きつけまくってましたけど、今はそうじゃない。俺達を信じてくれる人がいるなら、その人達を連れてドームまで行きたいと思ってる。そこに賛同できるかどうかを判断してもらいたいっていうのが第一にあって。それに加えて、俺は先輩達に向けて『もう1回行きましょうよ』って言いたいんですよ。ロックシーンはこういうもんやんなっていう諦めモードに入らんといて欲しい」
    • そういう状態に見える?
    • 山中「……もちろんバンドそれぞれにゴールがありますけど、こんなもんやんなって言わずに、カッコいいシーンがここにあることをもっと知ってもらいましょうよって思うんですよね。一緒にやりましょうよって伝えたいし、俺らが突破して行くことによって先輩も後輩も焚きつけたい。もっと行けるっすよね!っていう気持ちが届いたらいいですよね」
    • 世代的に、頼れる長男も生意気な末っ子もやれますからね。強い。
    • 山中「確かにそうですね(笑)。前のインタヴューでも言いましたけど、結局、最後に残るのはラヴでしたね。好きじゃないと続けられないし、好きじゃないと『もっとやりましょうよ』なんて言えないっすよ。かつての俺は『みんな幸せになって欲しい』だなんて綺麗ごとやと思ってましたけど、人に対して愛情を注げば注ぐほど、自分の人生も豊かになっていくんやなって実感してますね」
    • 今回の「PARASITE DEJAVU 2024」のコンセプトはミノタウロスの迷宮じゃないですか。今のお話で言えば、半人半牛の怪物に立ち向かっていくテセウスとロックバンドを重ねているんじゃないかと思ったんですけど、でも今の時代のミノタウロスとは何なんだろうっていうことも考えたんですよね。神々の勝手によってとばっちりを受け、望んでもいないのに怪物として産み落とされたミノタウロス。
    • 山中「実は、俺らがテセウス側やっていう視点と同時に、俺らがミノタウロスやっていう考えもあるんですよね。勝手にワケわからん枠に閉じ込められているじゃないですか、ロックバンドって。本当はただ真っ直ぐに生きたいだけやのに迷宮に閉じ込められて、勝手にエサを撒かれてる。それは今のロックシーンそのものじゃない?って思うんですよ。これはダメっていう規制ばっかりになって、こうしないと売れられないよっていう美味しい話をエサにされて。 今のロックバンドはテセウスの目線でも語れるし、ミノタウロスの視点でも言えるし、ミノタウロスへの生贄にされていた子供達の目線でもあるんですよね。そうやって閉じ込められたところから本当に望んでいるものを掴みに行くまでのストーリーを描きたいと思って、ミノタウロスの迷宮をコンセプトにしました。突き進んで行くためには犠牲も必要かもしれないけど、それでもここを突破していくんやっていう気持ちでいますね」
    • TEXT:矢島大地 (MUSICA)

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