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    • 『MARBLES』という作品に至るまでのマインドの変遷、時代に対する想いなどは、Vol.1のインタヴューで拓也くんにたっぷりと語ってもらいました。ここからは『MARBLES』の楽曲制作について、4人に伺っていきます。コロナ禍の最中で作った楽曲をまとめるというコンセプトに基づいた本作をどう捉えているのかを聞かせてください。
    • 中西雅哉(Dr):「2021年と2022年に出した“Red Criminal”と“MACHINEGUN”は、コロナ禍が明けて本来のライヴハウスの姿が戻ってきた時を目掛けて作ったところがあって。でもその一方、そうではない曲——コロナ禍が明ける時を展望して作ったわけじゃない、コロナ禍の苦しさがそのまま入った“隣花”、“IZAYOI”、“聖夜”みたいな曲もずっと傍にある状態だったんですよね。この辺りの曲を作ったのは2022年くらいやったかな。コロナ禍だったからこそラップトップ上で作り上げた曲達で、それがオーラルの幅になっていったんですよ。そういうコロナ禍での制作を経験したからこそ、打ち込みを多用した“BUG”や“Enchant”みたいな曲を作れるようになったところもあるんですよね。ロックバンドとしてのアグレッシヴさも大事にしつつ、ロックバンドだからといって生の音だけにこだわる必要もない。そういうバンドとしてのフラットさが生まれていったキッカケのような曲達だと思いますね。コロナ禍前の俺ら、コロナ禍の俺ら、コロナ禍が明けた後の俺ら。それらを繋いでくれるような位置づけのEPやと思ってます」
    • “隣花”、“IZAYOI”、“聖夜”を聴くと、コロナ禍だからこそラップトップを駆使して制作した楽曲であるとはいえ、原点的な歌謡性とシンプルなバンドサウンドが前に出ていると思うんですね。その辺りについて、まさやんさんはどう感じてるんですか。
    • 中西:「拓也から上がってきたデモの時点でどの曲もメロディが強かったので、それを活かしたアレンジにしようっていうのが念頭にあった気がします。パソコン上での制作ではあるけれども、その中でどれだけ生っぽいサウンドを作り上げられるのか。それがこの曲達を活かす最善の方法やと思ってましたし、そこがドラムの練習とは違う部分での鍛錬になった気がしますね。こうやると生々しい音が作れるんやとか、こういう音にすることで楽曲の表情が変わるなとか。『MARBLES』の楽曲達を通して、打ち込みでドラムを作ることが自分のプレイにも還元できるようになったり、新しい可能性を感じられる機会でした」
    • 鈴木重伸(Gt):「コロナ禍は、今思えばいい意味で時間があったので4人でいろんなことを試せたし、自分にも音楽にも向き合える機会だったんですよ。コロナ禍だからこそ4人の足並みを揃えたいと思って作業部屋を作ったのもそうやし、オーラルとして音楽を作っていく上での鍛錬がそれぞれにあったと思うんですよね。たとえば“IZAYOI”のギターソロをどうしようか?っていう話になった時、僕の考えたギターソロを打ち込んだら、あきらが『じゃあこの部分のコードを変えて、こう展開せえへん?』って提案してくれたことがあって。デスクトップ上で打ち込んだフレーズだとしても、それに対してどう応えるのかっていうスピード感がバンド内で上がったというか。コロナ禍で人と会う機会は減ったけれども、だからこそ音楽を通してメンバーと通じ合えることの楽しさを改めて実感することが多かったですね」
    • 山中拓也(Vo&Gt):「作業部屋の机がお互いに向き合ってた時期?」
    • 鈴木:「あの時は向き合ってたんちゃうかな。狭い中で」
    • 作業部屋のレイアウトの話?
    • あきらかにあきら(Ba):「そう(笑)。狭いのに机を向き合わせてたから、模様替えをしたんですよ。そういうのも楽しかった」
    • 自分達だけの秘密基地を作れたことも、バンドの雰囲気のよさに直結したんだっていう話ですよね。
    • 山中:「そうですね。部屋ができたぜー!っていうテンションの高さがあったし、コロナ禍の自粛期間中だったからこそ足並みを揃えなあかんっていうことで作業部屋を作りましたけど、足並みが揃う以上に4人の関係性が以前よりもさらによくなったと思います」
    • “聖夜”や“IZAYOI”のギターソロをはじめとして、ギターがもうひとつの歌のように聴こえてくる楽曲がとても多いと思うんですね。シゲさん自身は、コロナ禍のどんなトライが実を結んだと思われてますか。
    • 鈴木:「たとえば“聖夜”のギターソロは、拓也のデモをいつもブラッシュアップしてくれているNAOKIさんがつけてくれたものなんですよ。NAOKIさんは“Hallelujah”でも一緒にやったんですけど、ブルースチックなフレーズを作るのが得意な方なんです。ギターソロの弾き方とは?っていう部分から教えてくれたおかげで、テンポ通りにカッチリ弾くんじゃなくて、フレーズのどこに重きを置くのかっていうことまで突き詰めることができましたね」
    • “聖夜”の生命賛歌な感じ、荘厳な空気感はこのブルージーなギターソロが担っているところも大きいと思うんですよね。
    • 鈴木:「僕自身も、弾いていて感極まるのは“聖夜”なんですよ。ギターのコード感自体はシンプルですけど、その移り変わりが凄く綺麗で。細かくないがゆえに一発一発が当たったらめちゃくちゃ気持ちいい曲というか。今は無駄に“聖夜”ばっか練習してます。他にも練習すべき曲がたくさんあるのに(笑)、このシンプルさが今は気持ちいい」
    • それはシゲさんがシンプル化したっていう話なのか、今のオーラルの楽曲に対する最適解を掴んだだけだっていうことなのか、どうなんですか。
    • 鈴木:「振り返ると……『SUCK MY WORLD』(2020年)の時が一番、自分が知らなかった音楽に触れることが多かったんですよ。これ知らんなっていうものを逐一吸収して楽曲に落とし込むことが必要やった。それこそ“Hallelujah”がそうで、あれまではブルース調のギターを弾くことなんてなかったんですよね。だからこそ新しい幅ができたし、楽しいと思えるものの選択肢が広がったのが『SUCK MY WORLD』だったんです。なので今回の『MARBLES』のギターソロも楽しく弾けたし、シンプルなものもより深い形で弾けるようになったんじゃないかと思います」
    • “聖夜”も“隣花”も“IZAYOI”も、コロナ禍の中で作った曲であるにもかかわらず時代を限定しない音楽になっていると思うんです。シンプルであるからこそアンサンブルが歌心豊かに聴こえてきて、むしろ普遍的な強度を誇る曲ばかりだと感じます。
    • 鈴木:「まさに。プレイヤーとして、シンプルな楽曲のほうがむしろやれることが多いんだなって感じることが多くなってきてますね。そういう部分にこそバンドの音楽的な豊かさが出るんやなって僕も思います」
    • あきらさんは、どんな作品ができたと感じていますか。
    • あきら:「僕個人は、コロナ禍でめちゃくちゃ悩んでたんですよ。なので、その記憶が強烈に入っている作品やと感じてます。コロナ禍でも何かアクションを起こそうっていう想いで拓也が曲を作ってくれて、それに置いて行かれないように必死にしがみついて取り組んだ楽曲達ですね」
    • あきらさんは、コロナ禍の何に喰らっていたんですか。
    • あきら:「コロナ禍の規制の中、スタジオに入れずパソコンに向かってアレンジをするのが苦しかったです。制作を進めようとしているメンバーと一緒に楽曲に向き合ってみても、『俺は何もできないな』って思ってしまうことが多くて。今では楽しくやれてますけど、コロナ禍に入ってから気持ちが上向くまでがとても長かったと思います。その分『MARBLES』の楽曲に思い入れがあるし、だからこそ雑な形ではリリースしたくないと思ってましたね。ただ、雑に出したくないと言っているだけじゃ自分達の感情も次のステップに進んでしまうし、活動もどんどん展開していく。その中で今回の楽曲達だけがコロナ禍の時のまま置いていかれてしまうのは嫌だったんですよね。そんな時に拓也が『コロナ禍の楽曲をまとめてリリースする案がある』と言ってくれて、僕も凄く頷けたんですよ。とても苦しかった時でも必死に作った楽曲にスポットライトを当てて、ポジティヴな昇華の仕方ができたらいいなって思えて。この楽曲達に込めた気持ちを消化できたら、本当の意味で納得して次のステップに進めるんじゃないかと思ったんですよね。なので、ようやく出せるなっていう感慨があります」
    • 2020年9月に開催された「ORALIUM at KT Zepp Yokohama」に密着させてもらった時、あきらさんはすっごく元気がなかったんですよ。
    • あきら:「あら、そうですか?(笑)」
    • はい。「自分は何もできないな」と思って沈んでしまったのは、もうちょっと具体的に聞くと、どういう部分に対して思ったことだったんですか。
    • あきら:「うーん………本当に僕だけが、音楽から取り残されていく感じだったんですよね。そもそも僕はセッションが好きで、スタジオに入るのが楽しくてバンドを始めたところが大きかったんですよ。だからこそ最近の制作方法、パソコンでデモを作ってアレンジを詰めていく制作フローに上手くついていけないことがあって。もちろんそれに慣れることが必要ですけど、でもセッションしながら音楽をやりたい僕だけが取り残されていく感覚が拭えなくて。で、コロナ禍になったことでスタジオに入れなくなって、パソコン上での制作にさらに一極化していって。その焦りとか疲弊が顕著に出ていたのがコロナ禍の時だったのかもしれない。自分が環境に馴染むしかないのか、自分が楽しくやれる環境を作り出さなくちゃいけないのか。そこが今も自分のテーマなんですけど、特にコロナ禍はそういうトンネルの中でしたね」
    • 拓也くんは、そういうあきらさんをどう見ていたんですか。
    • 山中:「うーん……どこのタイミングだったか記憶が曖昧なんですけど、7年前くらいは『俺が全部作るのは無理やから、それぞれに曲を上げてきて』っていう感じだったんですよ。でもあきらは『俺は俺の仕事を頑張るから、曲を作るのは拓也に任せるよ』って言っていて。要は、自分の役割を全うすることに集中したい人なんですよね。で、コロナ禍になってからは『何かしらアクションを起こさないといけない』っていうマインドが俺の中で強くなって、オーラル以外の場所で曲を作ることも増えていって。たとえば『ボイステラス6』(山中が、ゲームクリエイターの山中拓也と立ち上げたプロジェクト)で活動することも増えましたけど、それもあきらにとってはプレッシャーになってたのかなって思うんですよね。俺は曲を作ることで活動を前に進めたいと思っていたけど、それを加速させればさせるほど、あきらの中には『曲を作れない俺達はどうするのか』っていう焦りが生まれていった気がするんです。そういう様子を見ていたからこそ、オーラルとして足並みを揃えていこうっていう意識が強くなっていったところもあるんですけど。そうやって当時の状況に向き合って曲を作り続けたことが、今に繋がってるんやと思いますし」
    • あきら:「そうやなぁ。THE ORAL CIGARETTESを動かしたい気持ちは山々やったけど、現実的に動かせなかったじゃないですか。じゃあ何ができるんやろう?って考えるけど、曲を作るのは拓也やし、その中で何もできない自分が悔しかったし、社会的にもいろんな制限があったし。俺はこんなに熱量高くTHE ORAL CIGARETTESをやってるのに、この熱量をどこにぶつけたらいいのかわからないっていうのが苦しかったですね」
    • シゲさん、まさやんさんは、コロナ禍で喰らうことはあったんですか。
    • 鈴木:「昔はライヴがないとイライラしてしまう人間やったんですけど、ライヴだけじゃなく音楽に向き合う時間があれば救われるっていうことに気づいていったんでしょうね。だからパソコンに向かう時間でも楽しかったし、音楽を作ったり技術を会得したりすることに夢中になれたんやと思う」
    • 中西:「俺はどうやったかな。2020年に入ってコロナ禍になって、情勢が想像以上のことになって。でもそれ以上に、2020年の2月におとんが他界したことがデカかったんですよ。ただ、コロナとおとんの他界っていうダブルパンチを食らっても、思ったよりは落ちなかったんですよね」
    • それはどうして?
    • 中西:「うーん……自分の人生に対して大きな希望も抱いていないし、自分の人生に対して大きな絶望も抱いてないっていう性格によるものなのかな。自分がどうというより周囲で起きていることが重要やし、だから自分が喰らうというよりも、周囲のことを冷静に見ている感じになってましたね。ドラムは家でも練習できるよなあとか、動画配信もできるように編集の勉強をしようとか、置かれた環境で何かをやってみようっていう行動をしているだけ。なので、むしろコロナ禍は、これだけデカい出来事があっても自分は喰らわないんやなっていうことを実感する時間だった気がします」
    • その中で、『MARBLES』に収められた楽曲達は、バンドがどういうモードになれたことで生まれてきたんですか。
    • 山中:「世の中にある便利なツールを用いてバンドの活動を前に転がしてきたわけですけど、コロナ禍においては、これまで普通だったツール、場所、発信が封じられてしまって。そういう制限に対して不平不満を漏らすよりも、そんな中でも音楽を作らなければいけないっていう現実を直視することが次に繋がると思ってました。みんなが苦しい時だからこそ動いたヤツが勝つと思ってたし、苦しい中でも感じられることを音楽に昇華すべきだと思ったんですよ。だからとにかく曲を作って、それこそが次への光明になるはずやっていう思考回路で動き続けてたんですよね。あきらが『しんどい』とは言っている中でもデモは渡して、シゲには『ここのギターのアレンジ全部任せていい?』って伝えて作るとか。当時のシゲは今ほどDTMを完璧に使いこなせてはいなかったと思うんですけど、まさやんがシゲにアドバイスしていたり、しんどい中でもあきらがコード進行を考えていたり……それが、いろんなものが封じられた中でもオーラルの音楽に向き合うっていうことやったんですよね。オーラルの音楽にそれぞれのやり方で向き合う、それこそが4人で同じ方向を向くっていうことだったんじゃないかと思います。これから先も、きっと俺らが動く中で制限は生まれてくると思うんですよ。コロナじゃなくても、この状況ではこれしかできないっていう状況が出てくる。その現実に凹むんじゃなく、その中で何ができるのかを考える力をコロナ禍で養えるんじゃないかって思ってたし、やっぱり今できることをやるべきだよねっていうところで全力を尽くせたから今の俺達があるんやと思うし。結果、今ではシゲがパソコンで高いクオリティのデモを上げられるようになって。Logicで作るものに限って言えば、今はシゲのクオリティに負けるんですよ」
    • そんなに。
    • 山中:「そういう一つひとつが今のオーラルの音楽的な強さになったと思うし、あきらもコロナ禍で散々セッションを制限されたからこそ、セッションできる楽しさを今爆発させられてるわけです。それも、制限がある中でも音楽に向き合った経験が活きてるっていうことだと思うんですよね。まさやんも『自分に対して希望も絶望もない』って言ってたけど——コロナ禍当時、まさにそういうことをまさやんと話したことがあって。“隣花”や“聖夜”で歌っていることにまつわる悲しい事件が起こった次の日かな? ウチにまさやんが来て制作することがあったんですけど、まさやんも俺の友人が亡くなったことを知っていて、俺もめちゃくちゃ凹んでたんですけど、まさやんはそれにひと言も触れなかったんですよ。で、ちょっとダベってる時に『まさやんって優しいよな』って俺が言ったら、『俺は優しいんじゃなくて自分に希望も絶望もないだけで、逆に言ったら冷たいだけやで』って言われて(笑)」
    • 中西:「ははははははは!」
    • 山中:「その時、やっぱりこの人は俺らより長い年数を生きてるんやなって思いましたけどね。自分に希望も絶望も感じてないなんて、俺はよう言わんっすもん。他人への優しさに対してですら自己分析できてるんやな、凄いなって思いましたね」
    • ここまでの話を聞くと、4人それぞれの生き方や考え方が浮き彫りになって、人間の根っこの部分でメンバーのことを見るようになったのがコロナ禍だったのかなと思うんですけど。
    • 鈴木:「そうですね。自分の得意とするもの、メンバーの得意とするもの、あるいは苦手とするもの——それを改めて認識する場面が多かったし、だからこそ4人でどうするのかっていう部分に繋がるというか。それこそ拓也が『メンバーそれぞれ曲を作ってきて』と言った時に、あきらが『俺は自分の役割を全うしたい』と言ったこととか。まさやんはまさやんで、状況に応じで自分にできることを極めていくとか。まさやんはコロナ禍でDIYもやってましたけど、もはやDIYどころか建築のレベルになってますからね」
    • はははははは!
    • 山中:「動画編集でも本職の人を唸らせてたもんな(笑)」
    • 中西:「めちゃくちゃやってたからな」
    • 鈴木:「(笑)そういう部分でそれぞれの人間性がより一層見えてきたのがコロナ禍やったし、その人間性を尊敬できるメンバーなんですよね。個々が個々のプロフェッショナルになっていってる姿が誇らしいし、バンドの力としても素晴らしいところやなって思ってます」
    • あきら:「そうやってそれぞれの人間性が浮き彫りになった結果、友達に戻れる瞬間も増えたと思うんですよね。そもそも他のバンドと比べても仲がいいバンドやったとは思うんですけど、さらに友達みたいな関係でバンドをやれるようになったというか。もちろんそれぞれの役割を全うすることも大事やけど、移動中に4人で桃鉄するような時間もあって。その時々で関係性が変わるけど、でもやっぱり根底には友達みたいな関係があって、心地いい4人やなって思えてます」
    • たとえば“IZAYOI”。今のお話がそのまま映ったような活き活きとしたグルーヴが聴こえてくる曲なんですが、この“IZAYOI”をあきらさんはどう捉えられてますか。
    • あきら:「“IZAYOI”はオーラルとして懐かしい感じもあって、お客さんにも受け入れられやすい曲なんじゃないかと思ってます。制作の話で言うと、特に2番についてシゲと一緒にめちゃくちゃ試して。コードの流れもそうやし、リズムチェンジやキメも多いので、まさやんはこれ叩けるかな?って言いながらいろんなパターンを作りましたね」
    • 中西:「手数がエグいっす」
    • あきら:「ははははは。デスクトップ上で作ったので、生身でどうなるのかが見えないまま『腕何本必要やねん』とか言ってました(笑)。でもイケるやろ!っていう感じで自由に作れたのは面白かったですね。で、そういう展開も、サビのメロディを際立たせることを念頭に置きながら作っていって。メロディが強い曲なので、いかにそれを立たせるのかをめちゃくちゃ考えましたね」
    • オーラルとして懐かしい感じがあるとおっしゃいましたが、まさに歌謡的なメロディと内省的な感覚が前に出ている曲で。僕もオーラルの原点的なものを強く感じたんですが、歌の中身に対してはどう捉えてますか。
    • あきら:「儚い歌ですよね。目に見えているものを歌っているようであり、目に見えないものを描いているようでもあり。そこが拓也らしいなって思う歌やと思います。直接的なことをあまり書いてこなかった人ですけど、だからこそ言葉の深みと強さが際立って伝わってくる曲ですよね。……まあ、拓也は歌の解説を全然してくれないんですけど(笑)」
    • 山中:「ふふふふ」
    • まさに、<この先で僕ら誓った/必ず見せたい景色の果て/行こう無限の果て>というストレートな決意表明が歌われているのがこの曲の強さだと思います。鬱屈した気持ちを引き受けるような歌が多かったバンドですけど、それだけじゃなくて光を求めて行くんだと歌い切れている部分に脱皮を感じました。
    • 鈴木:「さっきも言ってくれてましたけど、これぞオーラル!っていうサビメロがあった上で、前を向くっていう歌になっているのがいいなと思いますね。サウンド的には、めちゃくちゃ詰め込んでは拓也が削るっていうのを繰り返してたんですけど。ややこしいくらいの手数を出して、そこからソリッドな形に整理していった曲ですね」
    • 中西:「デモが上がってきた段階から、メロディに対して『めちゃくちゃ伝えたいことがあるんやろうな』っていう印象があって。でもそういうメロディの裏で鳴っているリズムを聴くと、タテのキックパターンになってたんですよ。そこが不思議で、このメロディに対して普通の8ビートじゃないんだ?っていう感じだったんですよね。キック3連でスネアっていうふうに、ずっと四分で音符が並んでるんですけど。でもこれって、普通の8ビートより突っ込みたい時によく使うリズムパターンなんですよ。でもそれをこのテンポ感でやるんだ?っていうのがムズかったし、だからこそそのリズムが“IZAYOI”の肝になってる気がするんですよね。最終的には、ゆったりしたテンポ感ではありつつも前に行く感じが必要なんやろうなっていうところに落ち着きましたね」
    • そして“隣花”と“聖夜”は、コロナ禍における喪失と痛みが生々しく表れている曲です。この2曲は歌の中身にもリンクがあるわけですが、シゲさん、まさやんさん、あきらさんはどう捉えている楽曲ですか。
    • 鈴木:「まず“隣花”は、デモが来た時点で拓也のイメージがハッキリしていて。たとえば曲の途中に秒針の音が鳴るところがあるんですけど、そういう細かい部分を厳密に詰めていった記憶がありますね。バラードとも言えるゆったりした楽曲ですけど、だからこそ各楽器のタイム感も細かく決めていったし、単なるオンじゃない部分で、楽曲に対して気持ちいいタイミングを丁寧に探る感じで進めていきましたね。逆に言えば、そういう細かい部分まで気をつかうべき楽曲やなっていう感覚がデモの段階からありましたね。ギターソロの手前で一拍空けたいと拓也が言ってて、その一つひとつに意味があるっていう曲やと思います」
    • ギターソロ前でフッと音が消えて、静寂が生まれますよね。
    • 鈴木:「そうそう。拍が空いて生まれる空間とか、そういう部分に美しさを感じる曲ですね。間が美しいっていうイメージ」
    • あきら:「拓也からデモが上がってきた段階で割と完成してた曲ではあるんですけど、拓也が『もうこれ以上出えへんから他の曲に取り掛かる』っていう感じになって。その段階で僕とシゲが“隣花”に向き合ってて、Cメロから戻るところの展開を練っていって。この曲のこの感じどうなん?って言ったり、それをひっくり返してみたり。これもまた、ある程度の完成形が見えている状態からさらに練るっていう試行錯誤を繰り返して完成した曲ですね」
    • 拓也くんは、シゲさんやあきらさんにアレンジを託す割合が増えてきてるんですか。
    • 山中:「増えてるんかな? 俺は割と頑固なんで、基本的には『これじゃないと嫌』っていう状態でデモを投げることが多いんですよ。ただ、そのデモの中にも『ここはバンドとしての余白があるな』って感じる部分があって。あきらのベースは俺が弾けるわけじゃないし、シゲの癖も俺にはないものやから。最初から明確に見えているものは具体的に指示するんですけど、これをシゲが弾くとしたらもうひとクセ出てきそうやなっていう部分は任せたほうがいいなっていう感じですかね。“隣花”や“聖夜”に関して言えば、その時に俺の身に起きた悲しい出来事をリアルに表すほうに重心があったので、メロディも楽曲の雰囲気もある程度は固まってたんですよ。でもCメロの部分に関しては、もうちょっと技術的な部分で余白があったというか——俺、正直コードの理論とかがあんまりわからなくて。こっちのほうがエモくなる!っていうのも『そうなんや』くらいなんですよ。なので、ヘタしたらずっと同じコード進行のループでデモを上げる時もあるんですよね。そこを修正してもらったりアイディアを入れてもらったりすることで立体感が出てくるっていうのがよくあるんですよ。だからきっと、場面によって相談するっていうのは昔から変わってないんじゃないですかね。自分の頑固度によってメンバーに任せるっていう流れは変わらず」
    • “隣花”は、<祈った声も/祈った明日も/命ある君を見つけたら/今を生きよう>というラストがお見事だと思いました。4人が一気呵成に雪崩れ込んで、大きなドラマを描いていくというか。
    • 山中:「確かに。それこそコード進行によってラストをめちゃくちゃ上げてくれたなって思いましたね」
    • “隣花”と“聖夜”は、『MARBLES』という作品をリリースする意義そのもののような歌だと感じたんですね。先ほどもお話してくれた通り大切な人を失う痛みが強烈に注ぎ込まれている歌だからこそ、自分が人生の中で何を大事にしていくべきなのかを見つめ直すためのメッセージも宿っている。そういう歌をバンドとしてどう解釈していったのかを聞いてもいいですか。
    • あきら:「歌詞がちゃんとでき上がるのは歌入れのタイミングで、拓也が歌っている横で初めて、曲の歌詞を知るんですよ。この歌詞はちょっとふざけ過ぎかな?っていう相談をもらうこともあるんですけど、基本的には歌詞を知らないまま楽曲に向き合うことが多いんです。ただ、“隣花”と“聖夜”は2022年の5月くらいに録った曲で、しかも雨が降ってて。“聖夜”の歌詞を見た時は、今に合わせて書いた?って思うくらいだったんですよね(笑)。で、歌詞は上がってるけど曲タイトルは決まっていない状態で、絶対に“君無き夢”になると思ってたんですよ」
    • “聖夜”には<カナリアの鳴く頃に>という言葉があるように、どんなに痛みを抱えていても、いつか空気が綺麗になって光が射すはずだと信じ続ける心が全部の歌の主題になっている作品だと思うんですね。そういった歌のテーマ性についてはどう感じましたか。
    • あきら:「そうやな……制作している時点では自分の役割を果たすことに必死でしたけど、こうして作品としてリリースする今の段階では、沈んでしまっていた当時の自分に対して放てばええんやなって思ってますね。トンネルの先に進み続ければスッキリする瞬間が来るし、それこそ光が射すと信じればいいよって伝えるように鳴らしたい曲達です。トンネルの途中にいる人、どう進めばいいのかわからなくなっている人達に届けばいいなって思ってますね。……元々はめちゃくちゃハッピーな人間だったはずなんですけど、コロナ禍でガーンと落ちたことによって、実は自分はハッピーな人間じゃなかったのかな?って疑ってしまうくらいだったので。そうやって自分のこれまでを疑うような気持ちになる人もいた数年やったと思うんですよ。そういう意味でのトンネルを抜けるキッカケになってくれたらいいし、それは自分に対しても思ってることですね」
    • 鈴木:「こうして『楽曲制作は楽しかった』と話せるのも、何から何まで楽しかったっていうことではなくて。当然、コロナ禍ではネガティヴな感情を持つこともあったし、どうしてこうなるんやって思ってしまう瞬間も経験してきて。それでもネガティヴをネガティヴで終わらせないための行動をとってきたからこそ、今振り返った時に『楽しかった』と言えると思うんですよ。ネガティヴなことにも向き合って、それを丁寧に記録するような楽曲を作れたから未来を切り開くことができたというか。こんな嫌なことも経験したからこう変われたんだよねって言えることが一番大事だと思うんですよね。『ネガティヴ』とひと言で言ったらそれだけで終わってしまうけど、マイナスなことの中にもいいことの可能性を見つけることができる。それが『MARBLES』の意義やと思うし、自分に対しても『苦しい経験をしたからこそ今があるよね』って言うための作品なんじゃないかなっていう気がします」
    • 中西:「当然ですけど、コロナ禍は世界中の人にとってマイナスの出来事だったじゃないですか。しかも一人ひとりの行動に対して他者からの目がシビアになって、どんどんがんじがらめな状態になっていって。そうして外からの目を気にするがあまり、今度は自分で自分を締めつけるようになって、その事実が苦しい記憶になってる気がするんですよ。俺らも少なからずそういう状況に置かれていたけど、それでも行動して、曲を作って、想いを発信し続けた事実があって。その事実を改めて伝える作品やと思うし、それをファンの人が手に取ってくれることによって、コロナ禍と呼ばれる数年と今の俺達が線で繋がると思うんですよ。コロナ禍とは言われているけど、それがいつ明けたのかも人それぞれで、あの期間で喰らった苦しみも人それぞれで。だからこそ人の記憶から徐々に薄れていってしまう数年であるのも事実だと思うんですよね。そんな中でも、あの数年をちゃんと生きてきたっていうことを人それぞれに思い返せたら、きっと今の自分に繋がる何かを見つけることができると思うんです。そういう意味でオーラルにとってもターニングポイントになる作品ですし、手に取ってくれた方にとっても、人生のターニングポイントを思い返すきっかけになったらいいなと思ってますね」
    • ありがとうございます。改めて、拓也くんは『MARBLES』をどういう気持ちで送り出したいですか。
    • 山中:「人それぞれに人生のペースがあって、その人なりに歩むスピードがあって。当然ですけど、人生に対する感覚は人によって違うんですよね。で、それを『人それぞれの人生があるんだよ』っていう常套句だけで終わらせないためには、まず自分にとってのリアルをちゃんと伝えることが大事だと思うんですよ。自分のリアルを人に伝えて初めて、お互いを理解することが始まっていくと思う。で、それをするために音楽があるんやと思うし、そのためにバンドをやっているんだと思うんですよ。そういう意味で、コロナ禍で自分の身に起こったことを曝け出した楽曲から何か感じてもらえたらいいと思うし、この作品を手に取るっていう選択も自分の人生における行動なんやって実感してもらいたい。そういう自発的な選択の連続が人生やし、そういう選択肢を作品やライヴで作っていけたらいいなと思ってますね。すべてが自分のための選択やと思いがちやけど、どこかに出かけてご飯を食べることだって、何かを買うことだって、自分以外の誰かのためになってるわけじゃないですか。自分から動くことが誰かのためになって、世界が幸せになっていく。そういうことを実感してもらえたらいいし、自分の行動が誰かのためになると感じられた時に初めて、これまでの自分を肯定することができると思うんですよ。そのキッカケのひとつとしてこの作品と俺らの音楽が在れたらいいなって思います」
    • わかりました。そして最後に伺っておきたいのは、今年の10月、2年ぶりに開催される「PARASITE DEJAVU 2024」について。2019年の初開催以来、久しぶりに泉大津に戻ってくるパラデジャですが、これはどんな想いで開催を決めたんですか。
    • 山中:「『PARASITE DEJAVU』を初めて開催した時から、『オリンピックみたいにいろんな会場でパラデジャをやった上で、定期的に泉大津に戻るようにしよう』っていうのはイメージしてたんですよ。で、コロナ禍でなかなか動けなかった中でも2022年にさいたまスーパーアリーナで開催できて、気づいたら泉大津でやった時から4、5年が経とうとしてるなぁと気づいて。じゃあ久しぶりに泉大津でやりましょうかっていう流れで今年の開催が決まりました。で、これは『PARASITE DEJAVU』の根本にあるマインドなんですけど、1回目と2回目の開催は『THE ORAL CIGARETTESは橋渡しである』っていう気持でやったものだったんですよ。普段は絡まないであろうジャンル、シーンの人を繋ぐことで、音楽シーン全体をいかに強くしていくか。そのマインド自体がパラデジャの強みやったと思うんです。でも今回に関しては、いよいよコロナが明けて全開の状態でライヴハウスを回ってきたので、ザ・バンド!っていうのを強く押し出したものにしようかなって思っていて。こういうイベントにとって大事なのはその時の時代性を映すことでもあると思っているので、今こそ『バンドってこんなに凄いんだぜ』っていうのを伝えられたらいいなと思ってます。演出に関しても、2019年は『死生観』を表現して、2022年はメデューサを通して監視社会を表したんですけど、今回は『MARBLES』にも関連したテーマで、迷ったり道を逸れたりしてもゴールはあるんだよっていうことを表現したいと思ってるんですよね。そこまで進もうっていうことを表すためのヴィジュアルや会場を作っていこうと思ってますし、迷い道の中にいる人が前を向けるようなメッセージを込めた2日間にするつもりです。1日目はワンマンで、2日目は仲間と一緒に『ここまで来られたね』っていう喜びを分かち合える日にできたらいいなと思ってます」
    • ロックバンドが見せられるゴールって、どういうものだと思ってるんですか。
    • 山中:「ゴールはひとつではないと思うんですよ。で、ゴールはひとつじゃないっていうこと自体が伝わればいいなと思ってて。言ってしまいますけど、今回は『labyrinth』(迷路)っていうテーマなんですよ。ひとつの壁にぶち当たって引き返すのもひとつのゴールやと思うし、迷うことから学びを得るっていうのもひとつのゴールやと捉えていて。必ずしも出口だけがゴールではないんですよね。あっち行ったりこっち行ったりする中で人と出会ったり、迷うからこそ必死に頑張ったり……そういう意味での人それぞれのゴールを見つける手助けになれたらいいと思いますね」
    • TEXT:矢島大地 (MUSICA)

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